山川穂高が結婚した嫁&子供は?書道とピアノが得意!?中学・高校・大学時代は?

山川穂高(やまかわ ほたか)選手は1991年11月23日生まれの32歳(2024/04/19時点)・176cm・体重103kgで、沖縄県那覇市出身。

沖縄県立中部商業高校から富士大学を経て、2013年にドラフト2位で埼玉西武ライオンズに入団し、背番号は『3』です。

 

この記事では、山川穂高選手が結婚した嫁と子供のこと。そして、得意と話題のピアノと書道、さらに中学・高校・大学時代についても書いていきますので最後までお付き合い下さい。

山川穂高が結婚した嫁と子供が気になる!

2018・19年と2年連続で〝ホームラン王〟のタイトルを獲得した山川穂高選手ですが、2017年の8月頃に大学時代の1つ年上の先輩女性と結婚していたことが分かりました。

一般女性ですが、元ソフトボールの選手だったそうで、アスリート同士の結婚ですね!

 

結婚した嫁の名前が『麻衣子』さんだそうで、タレントで女優の小池栄子さんに似ていると噂が。

一般女性なので写真等はありませんでしたが、小池栄子さんに似ているなら凄く美人な嫁だと想像できますね。

山川穂高選手が羨ましい限りです!

 

嫁の麻衣子さんとの馴れ初めについては明かされていませんが、二人は同じ大学で野球とソフトボールに励んでいたそうで、部は違えど交流会などで〝意気投合〟したのではないかと考えられます。

似た環境で過ごしてきた二人だからこそ的な感じでしょうね!

 

そんなアスリート同士の子供も気になるところですが、2019年の5月頃に第一子となる女の子が誕生しています。

パパを応援している後ろ姿はとても愛らしくて可愛いですね!

プロ野球選手と元ソフトボールの選手の間に生まれた子供ですので、将来どんな大人になり活躍していくのか今から凄く楽しみです!

 

ということで、7年の交際を経て嫁の麻衣子さんと結婚した山川穂高選手ですが、今後も、嫁の麻衣子さんと子供の情報が入り次第追記していきたいと思います。

山川穂高が得意な書道とピアノの件が気になる!

日本人最速で100号ホームランを達成している山川穂高選手ですが、野球以外にも書道・ピアノが得意だそうで多彩な才能があるとのこと。

豪快なホームランを打つ印象が強いので、意外な特技に驚きましたね。

 

まず、書道に関してですが、山川穂高選手が幼稚園児の頃から書道を習っていたそうです。

山川穂高選手の腕前は書道8段だそうで、めちゃくちゃ字も綺麗だと有名ですね!

もはや書道の先生としても活躍できる腕前ではないでしょうか!

字が美しすぎますね。

 

もう一つの特技・ピアノについては、何歳の頃か不明ですが、半年ほどピアノを習ったみたいで、大学時代には趣味としてピアノを良く弾いていたとか。

 

 

ピアノもめちゃくちゃ上手なのが分かります。

普通にピアノのコンサートを開催できるレベルですよね!

 

また、山川穂高選手は嫁の麻衣子さんとの結婚式で、嫁へのサプライズでピアノの演奏したそうですよ。

こんなに上手に弾いてもらえたら凄く感動しますやんね!

 

ということで、山川穂高選手が特技にしている書道とピアノの腕前は、プロレベルだと理解できました。

山川穂高選手のマルチな才能には驚かされますね!

野球とバレーを両立させていた山川穂高の中学時代!

多彩な特技を持っている山川穂高選手は、中学時代『チームSOLA沖縄』という硬式野球チームに所属し、自宅から10キロ離れたところまで通っていたそうです。

かなり中学の野球部かクラブチームに入るか悩んだそうですよ。

 

チームSOLA沖縄は、元プロ野球選手で横浜ベイスターズ(横浜DeNAベイスターズ)の監督経験もある大矢明彦さんが名誉監督務めている硬式野球チームだそうです。

プロ野球解説者でもあり、とても実績のある方ですね!

 

山川穂高選手の中学時代は野球一筋かと思いきや、中学校ではバレー部に所属していたみたいで、週4日は野球の練習、残り3日はバレー部で頑張っていたとか。

 

バレー部に入った理由は、遊びたい友達がバレー部にいたからだそうです。

中学生らしい理由といえばそうなのかもしれませんね。

 

野球もバレーもレギュラーとして活躍しており、底知れぬ才能を発揮しつつ、毎日1リットルの牛乳を飲み、ご飯を3合食べるなど、現在の体格は中学時代で土台が完成していたのでしょう!

これだけ大きく成長させてくれた両親に感謝せねばなりませんね。

 

ということで、中学時代の山川穂高選手は、野球とバレーを両立し、現在の体格の礎を築き上げていたことが分かりました。

山川穂高の高校時代が気になる!

中学卒業後は『沖縄県立中部商業高等学校』に進学し、一塁手や外野手として活躍していた山川穂高選手。

 

沖縄の高校野球は全国トップクラスに強く、代表的な強豪校は、春夏連覇を達成した興南高校(2010年に連覇)や春の選抜優勝2回の沖縄尚学(1999年と2008年に優勝)が甲子園常連校ですね。

沖縄の高校が強い理由としては、暑いイメージがありますが、冬でもあまり寒くならない気候環境が大きな理由だと思いますね。(台風の被害が多いですが)

 

高校2年の秋から4番打者を務め、チームの勝利に大きく貢献し、高校3年の夏の県大会では決勝戦まで進みますが、エース・島袋洋投手を擁する興南高校に惜しくも敗れてしまいます。(この翌年に興南高校が春夏連覇達成)

 

山川穂高選手は、この試合で2本の安打を放つ活躍を魅せるんですが、強豪校揃いの沖縄大会を制することは至難の業でしょう。

まあ、夏の高校野球は一発勝負ですし、そこに全ての青春をかけて戦う高校球児はとてもカッコいいので毎年チェックしちゃいますね!

残念ながら甲子園出場はできませんでしたが、山川穂高選手が高校時代に放ったホームラン数が通算27本と、高校時代にホームランアーティストとしての才能を開花させたのかもしれません。

 

〝ホームラン王〟山川穂高の高校時代は、確実に現在の土台として活きていることが分かりました。

日本代表に選ばれた山川穂高の大学時代!

山川穂高選手は高校卒業後、岩手県にある『富士大学』に進学し、大学1年から4番を務め、打点王を獲得するなどの活躍を魅せます!

高校卒業時点で、プロ野球選手になれる逸材だったのでしょうね。

 

大学2年では、第38回『日米大学野球選手権大会』の日本代表に選出され満塁ホームランを放ち、大学3年でも第26回『アジア野球選手権大会』の日本代表に選ばれ存在感を示した山川穂高選手。

大学時代の山川穂高選手は、実力と存在感が誰よりも凄かった印象が強いですね!

 

 

プロ相手でも御構い無しに3ランホームランを放つなど、大学時代の山川穂高選手はとにかくプロ顔負けのエゲツない選手だったんですね!

 

大学4年でも指名打者での〝ベストナイン〟を受賞した山川穂高選手は、その年のドラフトで埼玉西武ライオンズに入団することになります。

『富士大学』から初のプロ野球選手となり、大学の歴史にその名を刻んだ山川穂高選手は偉人と言える存在になったのではないでしょうか!

 

ということで、山川穂高選手の大学時代は、ずっと活躍し結果を残し続け、プロ野球選手に引けをとらない素晴らしい選手だったことが分かりました。

最後に

〝おかわり2世〟の愛称でファンから親しまれ、ホームラン後のパフォーマンス〝どすこい〟でファンと喜びを共有し、実力だけでなくファンを楽しませるプロ野球選手に成長を遂げた山川穂高選手。

福岡ソフトバンクホークスでいう松田宣浩選手のような存在に近いですね!

 

現在(いま)のプロ野球選手の中で、山川穂高選手が〝最強のホームラン打者〟だと思いますね。

今後も、山川穂高選手のホームランに注目していき、進化していくパフォーマンスにも期待しましょう!

 

最後まで読んで頂きありがとうございました。

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