野上士耀(のがみ・しきら)さんは2007年5月23日生まれの19歳(2026/10/05時点)・身長170cm・体重80kgで、愛知県出身です。
明秀学園日立高校から2025年のドラフト7位でオリックス・バファローズに入団し、背番号60の捕手としてプロ野球の世界に飛び込みました。
しかし、プロ1年目だった2026年9月30日に19歳で急逝したことが球団から発表され、大きな衝撃が広がりました。
では、野上士耀さんの死因は何だったのでしょうか。
また、亡くなる直前に何があったのか、家族構成や明秀学園日立高校時代までの経歴・学歴も気になります。
そこで今回は、野上士耀さんの死因や亡くなるまでの経緯、家族、経歴・学歴、そしてどんな選手だったのかについて詳しくリサーチしていきます。
野上士耀の死因はなぜ非公表?19歳で何があった?
まず、野上士耀さんの死因と、2026年9月30日に何があったのかを見ていきましょう。
結論からいうと、野上士耀さんの死因は2026年10月3日時点で公表されていません。
日刊スポーツによると、球団側は家族の意向を踏まえて死因を非公表とすることを説明しています。
そのため、具体的な原因について公表されている範囲を超えて断定することはできません。
2026年9月30日に19歳で急逝
オリックスは2026年9月30日、野上士耀さんが同日に急逝したことを発表しました。
野上さんは2007年5月23日生まれで、亡くなった当時は19歳でした。
【19歳捕手急逝】オリックス野上士耀さん死去…最終戦出場からわずか3日の衝擊 https://t.co/93sxdzw8RS @YouTubeより
— プロ野球選手応援ブログ【プロ野球ソウル】 (@hawkssoulcom) October 3, 2026
プロ入りからまだ1年目という時期だっただけに、突然の知らせに驚いたファンも多かったことでしょう。
午前7時45分ごろ寮の自室で発見された
日刊スポーツによると、9月30日午前7時30分の寮の点呼に野上さんが現れず、職員が連絡してもつながらなかったため自室を確認したとされています。
午前7時45分ごろに倒れている野上さんが発見され、消防隊員が駆け付けたものの、午前8時に死亡が確認されました。
参照:日刊スポーツ
死因は家族の意向で非公表
球団本部長は、死因を公表しない理由について家族の意向があることを説明しています。
一方、Full-Countによると、球団本部長は「事件性はないと伺っている」と説明しました。
事件性はないと伺っている
引用元:Full-Count(https://full-count.jp/2026/09/30/post2024225/)
デイリースポーツでは、球団側が野上さんに悩んでいる様子があったかについて「現時点では確認できていない」と説明したことも報じられています。
つまり、分かっているのは死因が家族の意向で非公表であることと、球団側が事件性はないとの説明を受けていることまでです。
具体的な原因については、これ以上踏み込んで推測しないことが大切でしょう。
野上士耀は亡くなる前日まで練習!最後の試合やプロ1年目の成績
続いて、野上士耀さんが亡くなる直前までどのように過ごしていたのかを見ていきます。
野上さんは亡くなる前日の2026年9月29日にもファームの全体練習に参加し、居残り練習にも取り組んでいました。
日刊スポーツによると、球団本部長は前日に「元気な姿」で練習していたとの報告を受けていたと説明しています。
最後の公式戦は9月27日の広島戦
野上さんが最後に出場したファーム公式戦は、2026年9月27日の広島戦でした。
この試合では9番・DHで先発出場しています。
最後の公式戦からわずか3日後の9月30日に訃報が発表されたことになります。
プロ1年目はファーム32試合に出場
2026年のファームでは32試合に出場し、14安打、0本塁打、4打点、打率.187という成績を残しました。
デイリースポーツによると、1軍公式戦への出場はありませんでした。
高校を卒業したばかりの新人捕手として、ファームで経験を積んでいる最中だったことが分かります。
では、そんな野上さんを支えていた家族について、どこまで公表されているのでしょうか。
野上士耀の家族構成は?父親・母親や兄弟について
野上士耀さんの父親・母親・兄弟など、家族構成についても気になるところです。
球団公式プロフィールやNPB公式では、父親・母親の氏名など、家族の詳しいプロフィールは公表されていません。
一方、2026年10月1日にパ・リーグ.comで掲載された記事では、野上さん本人が3人兄弟で、3人の名前はいずれも最初に「士」が付くと明かしていました。
家族について公に確認できる情報は限られています。
死因の公表には「家族の意向」があった
家族について公に言及された情報のひとつが、野上さんの死因を非公表とした際の球団側の説明です。
日刊スポーツによると、球団本部長は家族の意向を受けて死因を公表しないと説明しました。
このことからも、家族に関する詳細を必要以上に推測するのは避けたいところです。
父親や母親については公表されている情報が限られているため、現時点で公になっている範囲を尊重して受け止めるのがよさそうです。
野上士耀の経歴・学歴!明秀学園日立からドラフト7位でオリックスへ
ここからは、野上士耀さんがプロ野球選手になるまでの経歴・学歴をたどっていきます。
野上さんは明秀学園日立高校でプレーし、2025年のプロ野球ドラフト会議でオリックスから7位指名を受けました。
日本高等学校野球連盟の2025年プロ野球志望届提出者一覧にも、明秀学園日立高校の「野上 士耀」と掲載されています。
中学時代は愛知名港ボーイズでプレー
日刊スポーツによると、野上さんは中学時代に愛知名港ボーイズでプレーしていました。
週刊ベースボールONLINEでは、松原小学校時代に春日井オルティーズでプレーし、小学6年時には中日ジュニアを経験したとも紹介されています。
小学生のころから硬式野球の世界へとつながる経験を積んでいたようです。
明秀学園日立で正捕手となり甲子園へ
日刊スポーツによると、明秀学園日立高校では2年秋から正捕手を務めました。
3年夏には甲子園に出場し、高校野球最後の夏を全国の舞台で戦っています。
スポーツナビでは、茨城大会決勝の延長10回に決勝打を放ち、甲子園でも盗塁を阻止するなど攻守で存在感を見せたと紹介されました。
高校最後の夏に甲子園へ出場し、その年のドラフトでプロ入りを果たしたという濃密な1年だったわけですね。
2025年ドラフト7位でオリックスへ
オリックスは2025年のドラフト会議で、明秀学園日立高校の野上士耀捕手を7位で指名しました。
新人入団会見で球団は、野上さんを強肩強打の捕手として紹介しています。
二塁送球タイム1.8秒台の肩に加え、長打力も評価されていました。
背番号は60となり、高校卒業後すぐにプロ生活をスタートさせています。
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野上士耀はどんな選手だった?本人の言葉から分かる人物像
野上士耀さんは、プレーだけでなく、どのような気持ちでプロの世界に挑もうとしていたのでしょうか。
オリックスの新人入団会見で、野上さんは自身の持ち味として「積極的なプレー」と「パワフルなスイング」を挙げています。
さらに、自身について「元気がある」と話し、明るく溌剌とプレーしていきたいという思いを語っていました。
僕は元気があるので、明るく溌剌とやっていきたい
引用元:オリックス・バファローズ公式(https://www.buffaloes.co.jp/team/newcomer/)
決意表明でも「元気あるプレーで、球場を元気にしたい」と話しています。
自ら「元気」や「明るく溌剌と」という言葉を繰り返していたことから、自分のプレーで周囲にも明るさを届けたいという意識を持っていたようです。
3年後にオリックス7位指名…明秀日立・野上士耀。 https://t.co/NEBYfE1oUB @YouTubeより
— プロ野球選手応援ブログ【プロ野球ソウル】 (@hawkssoulcom) October 3, 2026
森友哉や若月健矢をお手本にしていた
新人入団会見では、右打者として森友哉選手のような選手になりたいという目標も語っていました。
捕手としてお手本にしている選手には、森友哉選手と若月健矢選手の名前を挙げています。
打撃と守備の両方で成長しようとしていたことが伝わってきますね。
投手には笑顔で声を掛けることを意識
2026年10月1日にパ・リーグ.comで掲載された記事では、野上さんが捕手として投手を不安にさせないよう、いつも笑顔で話し掛けることを意識していたという本人の言葉が紹介されています。
捕手は投手と向き合うポジションだけに、笑顔でのコミュニケーションを意識していたという言葉からは、技術だけでなく相手との接し方も大切にしていたことが読み取れます。
プロ生活は短い期間となりましたが、本人が残した言葉からは、どんな捕手を目指していたのかが見えてきます。
参照:パ・リーグ.com
野上さんは明秀学園日立高校から2025年ドラフト7位でオリックスに入団しており、大学には進学していません。
野上士耀さんと関係の深い選手の記事
野上士耀さんは新人入団会見で、同じオリックスの捕手である若月健矢選手をお手本の一人として挙げています。
- 若月健矢が結婚した嫁・立花理香は美人声優!子供は?プリンセスに迫る!(関係:オリックスの捕手/本人がお手本として言及)
野上士耀の死因・家族・経歴まとめ
野上士耀さんの死因や何があったのか、家族構成、経歴・学歴について見てきました。
- 死因:家族の意向により非公表
- 2026年9月30日に19歳で急逝
- 家族構成:本人の発言から3人兄弟であることが公表されている一方、父親・母親などの詳しい情報は非公表
- 明秀学園日立高校から2025年ドラフト7位でオリックス入り
- 森友哉選手や若月健矢選手をお手本にしていた捕手
野上さんは入団会見で「元気あるプレーで、球場を元気にしたい」という思いを語っていました。
その言葉や高校時代からプロ入りまでの歩みも含め、野上士耀さんがどのような選手だったのかを覚えておきたいですね。