比嘉幹貴が結婚した嫁と子供は?高校・大学・日立製作所時代がヤバい!?球種と牽制は?

比嘉幹貴投手は1982年12月7日生まれの41歳(2024/04/19時点)で、沖縄県沖縄市出身。

沖縄県立コザ高校から国際武道大学、日立製作所を経て2009年にドラフト2位でオリックス・バファローズに入団し、背番号は「35」です。

 

タマ
この記事では、比嘉幹貴投手が結婚した5歳年下の嫁と子供の存在について。そして、高校・大学・日立製作所時代のこと。さらに、球種や牽制についても書いていきますので最後まで読んで欲しいニャー!

比嘉幹貴が結婚した5歳年下の嫁と子供の存在が気になる!

サイドスローから投げ込む最速148km/hのストレートと、スライダー・カーブ・シンカーなどの変化球が持ち味の比嘉幹貴投手。

緩急を使った投球術は脱帽レベルに素晴らしいですね!

 

 

 

タマ
この球速の緩急差はヤバすぎるニャー!

 

また、顔の彫りが深くて男前の比嘉幹貴投手ですから、女性ファンも多数いるでしょうけど、実はすでに結婚していたことがわかりました。

 

比嘉 5歳下一般女性と結婚していた「開幕1軍決まってプロポーズ

オリックスの比嘉幹貴投手(31)が、大阪市出身の一般女性と6月に結婚していたことが30日、分かった。今季は7勝1敗20ホールド、防御率0・79と抜群の成績を残し、パ・リーグタイ記録となる34試合連続無失点もマーク。大躍進の陰には、捕手という女房役だけでなく、「真の女房」の存在があったようだ。

引用元:スポニチ

 

結婚相手の女性は大阪出身の一般女性で、2014年6月に結婚しています。

結婚した年は、7勝1敗20ホールド・防御率0.79と抜群の成績を残し、パ・リーグタイ記録(2014年当時まで)となる34試合連続無失点もマークした年ですね!

 

 

タマ

大躍進の裏には捕手という女房役だけでなく「真の女房」の存在があったわけだニャー!やっぱり大切な人の存在はデカすぎるニャン!

 

嫁さんとの出会いはプロ入り2年目の2011年のこと、知人の紹介で知り合ってすぐさま意気投合し、第一印象で「すごくいい人。性格がいい」と比嘉幹貴投手が惚れ込み、自然な流れで交際がスタートしたそうです。

3年間の交際を経て結婚した嫁は、一般女性ということもあって顔や名前は非公開ですが、黒髪のロングヘアーが似合う5歳年下の女性だとか!

 

 

タマ
年下黒髮ロングヘアーと聞かされると、色々想像してしまうニャー!現在(いま)も専業主婦として旦那を支えているそうだニャン!

 

プロ野球選手の奥様方は旦那がアスリートなため、栄養のある食事を作ったり、遠征で家を開けることが多いので家事全般をこなすなど、やることが多くて大変かと思います。

ですが、結果至上主義のプロ野球界で戦う旦那を支える為「結婚相手の嫁さんがどれだけサポートしてくれるか」、ここが非常に重要な部分だと思うし、それが大なり小なり出来ているのならば、旦那さんは日頃の感謝を結果と言葉で伝えるべきでしょうね!

 

 

タマ
比嘉幹貴投手の嫁さんもきっと、全力でサポートしているはずだニャー!

 

そんな嫁さんとの子供について調べたところ、子供に関する情報はありませんでした。

もしかしたら公にはなっていないだけで、子供がいるのかもしれませんが実際のところはどうなのでしょう。

 

 

タマ
夫婦二人の時間を現在(いま)は楽しみたいのかもしれないニャー!もし、第一子出産のニュースが取り上げられた際は心の中で「おめでとう」と言いたいニャン!

 

引き続き、比嘉幹貴投手の嫁と子供に関する情報が入り次第追記していきたいと思います。

比嘉幹貴の高校・大学・日立製鉄所時代を調査!

プロの世界に入ってからは、主にチームの中継ぎとして活躍している比嘉幹貴投手ですが、洗練された投球術と制球力は目を見張るものがありますね!

現在(いま)まで、オリックス一筋で戦えた理由がわかります。

 

 

 

タマ
満塁のピンチでも動じずにいつも通り投げ込める比嘉幹貴投手は、技術だけでなく精神力も怪物級だニャー!まさに、チームの頼れる中継ぎ投手の一角だニャン!

 

そんな比嘉幹貴投手は、プロ入り前の野球人生はどんな感じだったのか気になる方も少なくないでしょう!

比嘉幹貴投手のこれまでの経歴を少しだけ覗いて見ましょう。

 

中学卒業後、地元の沖縄県立コザ高校に進学し、高校1年の秋からエースとして活躍していたそうですが、この頃は全くの無名で情報がありませんでした。

ただ、高校時代はすでに投手をしていたことと、高校3年間で甲子園出場は果たせなかったことがわかりました。

シーズンオフに自主トレするときは、地元だったり母校のコザ高校で取り組んだりするみたいですね!

やはり、慣れ親しんだ土地でのトレーニングが一番しっくりくるのではないでしょうか。

 

 

タマ
地元&母校への愛が伝わるニャー!

 

高校卒業後、国際武道大学へ進学した比嘉幹貴投手は、リーグ通算29勝で4年連続大学選手権大会出場に貢献しました。

大学3・4年時は、主に先発を任されていたみたいですが、いずれも上位まで進むことはできなかったみたいですね。

 

 

タマ
大学時代で先発投手より、中継ぎ投手の方が向いている兆しが見え隠れしていたのかもしれないニャー!

 

大学卒業後、日立製鉄所に入社しましたが、社会人なりたての頃は怪我が多くなかなか試合に出場できませんでした。

しかし、怪我から復帰後は徐々に実力を開花させ、チームの大黒柱に成長するまでに進化します!

そして、比嘉幹貴投手は日立製作所時代にとんでもない記録を打ち立てました!

第35回社会人野球日本選手権大会2回戦でのこと、対九州三菱自動車戦では9回2死までノーヒットノーランの好投を演じるなど、投手としての能力の高さを見せつけますが、その試合は打線の援護がなく二死から二者連続死球を与えたところで交代し、後を受けた投手がサヨナラヒットを喫したことから被安打0で負け投手となる伝説の試合です。

 

 

タマ
記録にも記憶にも残る伝説の試合だニャー!新庄剛志さんにも負けず劣らずの記録だニャン!

 

これらのことから、めちゃくちゃ華々しい実績はありませんでしたが、高校・大学・日立製作所時代振り返ってみると投手一筋で徐々に実力を積んできた選手だとわかります。

その努力を積み重ねてきたからこそ報われ、そして現在に至るのでしょうね!

 

 

タマ
比嘉幹貴投手のような存在は絶対的に必要不可欠だニャー!今後も、比嘉幹貴投手の活躍に注目していきたいニャン!

比嘉幹貴の球種や牽制にも注目!

サイドスローから投げる制球力の高さが魅力的な比嘉幹貴投手の球種は、ストレート・スライダー・カーブ・シンカーの4種類を持っています。

特に、投球の中で軸になるボールについて「スライダーだと思う」と答えており、さらにカーブとスライダーが同じ握りで投げていることも明かしていましたね!

 

 

タマ
これには、過去に沢村賞を2度獲得した経験がある斉藤和巳さんも驚くほどだニャー!詳しくは不明だが、きっと手先と手首を起用に使い分け、腕をしっかり振り抜くからこそできる技術だと思うニャン!

 

 

「エグいスライダー集」の中に、平井克典投手・東條大樹投手に並んで、比嘉幹貴投手も名を連ねているので真実味が増しますし、数ある球種の中でスライダーが一番得意だとも理解できますね!

平均球速140km/h前後のストレートにキレのあるスライダーを組み合わせ、現在まで中継ぎ投手として活躍してきた理由がわかります。

 

また、比嘉幹貴投手は牽制やフィールディングにも定評があります。

当時、岡田彰布さんがオリックスの監督の時に12球団の投手の中で牽制が一番上手との評価を受けていました。

 

 

 

タマ
一瞬の出来事というくらい牽制が速すぎるニャー!ドラフトで指名される時からクイック・牽制技術に定評があったそうだから、相当本人も自信があると思うニャン!

 

牽制アウトでピンチを一つ切り抜ければ、自分もチームも救えますからね。

これからも得意の牽制を活かしてもらいたいし、比嘉幹貴投手の球種と牽制(フィールディング)に益々注目していきましょう!

最後に

緩急差を自在に操る投球術と、それを実現させる制球力に加え豊富な球種と牽制力!

150km/hのストレートが投げられなくても、他を磨き続ければプロ野球界で十分戦っていけるんだ」と、比嘉幹貴投手の姿を観ると伝わってきますね。

 

 

 

タマ
一年でも長くキャリアを積んでもらい、チームのリーグ優勝・日本一に大いに貢献して欲しいニャン!そして、激しい緩急差のピッチングで多くのファンを魅了させてもらいたいニャー!

 

今後も、比嘉幹貴投手の活躍と動向に注目し、情報が入り次第追記していきたいと思います。

 

最後まで読んで頂きありがとうございました。
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