平井克典投手は1991年12月20日生まれの31歳(2023/09/24時点)で、愛知県一宮市出身。
飛龍高校から愛知産業大学、社会人野球の企業チーム・Honda鈴鹿を経て2016年にドラフト5位で埼玉西武ライオンズに入団し、背番号は『25』です。
この記事では、平井克典投手が愛する嫁と子供のこと。そして高校・大学時代、さらに投げすぎで酷使している件についても書いていきますので、最後までお付き合い下さい。
平井克典が愛する嫁と子供が気になる!
平井克典投手には結婚している嫁の存在がいまして、名前は杉下知咲佳(ちさよ)さんといいます。
嫁は5歳年上の〝姉さん女房〟で、画像からでしか分かりませんが、平井克典投手をしっかりと支えてくれる嫁の印象が強くありますね。
二人の出会いは、おそらく平井克典投手が社会人野球時代の時だと思いますが、定かではありません。
平井克典投手は、埼玉西武ライオンズと仮契約を結ぶ場に当時結婚予定だった嫁を同席させ、その場で結婚発表をしたそうですよ。
プロ野球選手になることを機に結婚を決断したのでしょうね!
その際、平井克典投手は嫁の前で「仕事と家庭を必ず両立させる」と力強く宣言し、現在も宣言通り見事に仕事と家庭の両立を成立させていると思います。
この宣言には、嫁の杉下知咲佳さんも嬉しかったことでしょうね。
嫁との子供ですが、調査してみたところ現在(いま)も子供が誕生したといった情報がありませんでした。
現在(いま)は大変な時期かもしれませんから、色々落ち着けば嫁との子供情報が届くかもしれませんね。
ということで、平井克典投手の嫁は5歳年上の〝姉さん女房〟で、子供はまだ誕生していないことが分かりました。
今後も、嫁と子供に関する情報が入り次第追記していきたいと思います。
控え投手だった高校時代の平井克典!
平井克典投手は小学2年時に『浅間少年野球クラブ』で野球を始め、中学時代はシニアチームの『愛知江南ボーイズ』で実力をつけてきたそうです。
平井克典投手も、プロ野球選手が通るオーソドックスな小・中学時代を過ごしたことがわかりますね。(もちろん努力は人一倍しているでしょうが)
そんな平井克典投手は、静岡県にある『飛龍高等学校』に進学することに。
〝文武両道の実践〟を目標に掲げた素晴らしい高校ですね!
飛龍高校は、特別野球が強い高校ではありませんが、それでも高校1年からベンチ入りを勝ち取る平井克典投手は凄いと思います。
ポテンシャルの高い投手だったに違いないでしょう!
特に平井克典投手の『スライダー』が凄かったみたいで、高校時代の監督曰く「高校時代から(平井克典投手)スライダーは天下一品だった」というほど。
現在でも平井克典投手の『スライダー』は決め球としても投げられていますが、このボールは打つことが難しいですね。
しかし、天下一品のスライダーを投げる平井克典投手は、高校2年の夏まではチームを県ベスト4にまで導く活躍をしますが、高校3年の時は一度も登板することなく、意外にも控え投手として高校野球を終えてしまいました。
控えとして高校時代を過ごした選手は沢山いるでしょうが、それでも、控えの悔しさをバネに飛躍している選手が多いことも事実ですね!
平井克典投手もその一人で、高校時代はエースになれず控え投手に甘んじてしまいましたが、その悔しい経験をバネに、その後の野球人生を諦めず努力し続け現在(いま)があるのでしょう。
高校時代の平井克典投手は、控え投手として悔しい経験をしていたことがわかりましたが、大事なのは〝悔しさをバネに前進すること〟だということもわかりましたね。
大学時代も苦労していた平井克典!
控え投手として悔しい高校時代を経験した平井克典投手ですが、高校卒業後は『愛知産業大学』に進学することになります。
大学野球で実力を付ければ、大学卒業後もプロや社会人野球などで、野球を続けられる可能性が高まりますからね!
しかしながら、高校時代に続き大学時代でも、満足のいく成績をあまり残せなかった平井克典投手。
やはり大学野球もレベルが高いですから、大学リーグで目立つ活躍を続けることは至難の業でしょうね。
結果的に大学時代の平井克典投手は、プロのスカウトどころか企業チームからのオファーすらもらうことなく、普通の野球選手なら野球を諦めてしまうほどの絶望感だったに違いありませんが、自分の可能性を信じていた平井克典投手は〝積極的に自らの売り込みを行い〟見事『Honda鈴鹿』への入社を決めます!
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