杉本裕太郎選手は1991年4月5日生まれの33歳(2024/10/13時点)で、徳島県阿南市出身。
徳島商業高校から青山学院大学を経て、JR西日本から2015年にドラフト10位でオリックス・バッファローズに入団し、背番号は「99」です。
杉本裕太郎が結婚した嫁と子供の存在が気になる!
身長190㎝、体重90kgと大柄な体格ではありますが、50メートル走で最速6秒0を計測した俊足と、遠投115メートルを記録した強肩の持ち主の杉本裕太郎選手。
身体能力だけなら球界トップクラスかもしれませんね!
何と言っても打撃力が杉本裕太郎選手の一番の売りでもあります。
そんな杉本裕太郎選手ですが、実はすでに結婚していたことがわかりました。
2018年12月30日に結婚したと発表があり、結婚相手の嫁さんは一般女性の方だそうです。
結婚した嫁さんの情報について調べてもなかなか出てこないので、プライバシーに関しては情報をあまり出さないように十分気をつけているのでしょう。
これも、愛する女性を守るための一つの手段ですからね!
また、結婚した嫁さんとの子供についても調べてみたところ、特に子供の存在についての情報もありませんでした。
結婚してだいぶ経つので、子供ができていてもおかしくはありませんが、実際のところはどうなのでしょうか。
いずれにせよ現時点では情報がないので、もう少し結婚生活が落ち着けば、そのうち子供誕生のおめでたい情報が入ってくるかもしれませんね。
それまで楽しみに待ちましょう!
今後も、杉本裕太郎選手が結婚した嫁と子供に関する情報が入り次第追記していきたいと思います。
愛称・ラオウの杉本裕太郎の打撃力に注目したい!
杉本裕太郎選手は、ニュースや記事などの至るところで「ラオウ」と言われたり、表記されることが多い選手です。
表現が強すぎてたまらんですね!
そして、ラオウの一撃と称される杉本裕太郎選手のホームランもたまらんです!
身長190㎝・体重90kgあるので、個人的には身体つきや仕草などがラオウみたいにインパクトがあることから、そう呼ばれいるのだと思っていましたが、どうやら違うみたいですね。
杉本裕太郎選手がラオウと呼ばれる理由は、自身(杉本裕太郎選手)が「北斗の拳に出てくるラオウのファンだから」だそうです。笑
正直詳しくは分かりませんが、ラオウは北斗の拳の登場人物の中でも、史上最強の位置づけに君臨する主要キャラでしたよね!
ラオウが好きな理由は、それくらい強い男になりたいからだそうです。
また、杉本裕太郎選手は、プレースタイルもラオウに匹敵するくらいのパワーやインパクトのある選手と言えます。
大柄な体格から繰り出されるパワーは、一流のプロ野球選手達も度肝を抜くと言われるほどです。
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打った瞬間の超特大弾💥
外野手も見送るのみ
\会心の昇天ポーズも飛び出した💪#杉本裕太郎 第8号先制ツーランホームラン🌈⚾
⚾#プロ野球 (2021/5/11)
🆚日本ハム×オリックス
📲#DAZN 👉 https://t.co/erQgx6HtGt#ORIX #Bs2021 #NPB pic.twitter.com/VxFS1MtH8R— DAZN Japan (@DAZN_JPN) May 11, 2021
打った瞬間ホームランとわかる、まさにラオウの一撃と呼ぶに相応しいでしょう!
マジで昇天しそうです!(半分冗談でございます)
もともとパワーには定評があった杉本裕太郎選手ですが、プロ入り後は打撃の確実性に欠けていました。
しかし、ここ最近のシーズンは打撃も確実性が増し、好調をキープしている状態なので、ようやく度肝を抜くパワーを発揮できている感じですね!
杉本裕太郎選手には、是が非でもホームラン王のタイトルをとってもらいたいと思います。
杉本裕太郎の高校・大学・JR西日本時代に迫る!
ここ最近のシーズンはかなり好調をキープできていると言ってもいいほど、チームの勝利に貢献する活躍をみせる杉本裕太郎選手。
杉本裕太郎選手の一撃で勢い付いたり、時には試合をひっくり返したり、さらにはサヨナラ勝ちを収めたりと奮闘していますね!
そんな、杉本裕太郎選手のこれまでの野球経歴はどうだったのか、気になるファンも多いのではないでしょうか。
そこで、高校・大学・JR西日本(社会人野球)時代を調査してみました。
小学校から野球を始めた杉本裕太郎選手は、中学時代は軟式野球部に所属し、中学3年の時には、徳島県大会での優勝や、四国大会でのベスト4進出に貢献したそうです。
チームの主力メンバーとして欠かせない存在だったのでしょう!
中学卒業後、杉本裕太郎選手の地元で徳島県の強豪校・徳島商業高校に入学し、高校1年の夏に投手としてベンチ入りを果たします。
高校時代は投手を任されていたんですね。
徳島大会に高校1年生ながら登板し、その後甲子園出場への出場を決めると、控え投手としてベンチ登録メンバーにも入りましたが、甲子園での登板機会はありませんでした。
高校2年の夏にはクローザーを任され、同年秋からエースに定着しました。
綺麗な投球フォームだと思います。
約10年後、プロの世界で打者として活躍するなんて、この時思いもしなかったでしょうね。
しかし、最後の夏は徳島県大会で敗退してしまい、全国大会への出場は高校1年生の夏だけとなりました。
結果的に甲子園のマウンドにも立っていないわけですから、とても悔しい想いをしたと思います。
高校卒業後、青山学院大学へ進学し、投手としての素質を見込まれていたが、自身の志願により入学早々外野手へ転向しました。
東都大学リーグでは、大学1年の秋季リーグ戦から指名打者として起用され、4番打者に定着した大学2年の秋季リーグ戦では、10月6日の日本大学戦でリーグ19年振り史上6人目のサイクルヒットを達成し、ベストナインを受賞されました。
下級生時代からエンジン全開でしたね!
大学3年生以降のリーグ戦では、2年後輩の3番打者・吉田正尚選手(現オリックスバファローズ)との2者連続本塁打を3回記録するなど、上級生となっても杉本裕太郎選手の存在力は健在でヤバすぎました。
現在のオリックスのクリーンナップを、大学時代から組まれていたんですね。
大学4年生の秋季リーグ戦では、駒沢大学の今永昇太投手から、2打席連続本塁打を放つなど、数々の好投手からホームランを放ち、対戦もしております。
同じく2013年4月9日東都大学リーグ、亜細亜大・山﨑康晃投手VS青山学院大・杉本裕太郎外野手。 pic.twitter.com/PRLi6vTmlt
— スーパー宇宙パワー (@superuchuupower) July 22, 2020
山崎康晃投手とも対戦しているので、素晴らしい好投手と大学時代から対戦していたことが分かりました。
現在のプロ野球界を支える、スーパー黄金世代が沢山いますね!
東都大学1部リーグ通算83試合に出場、309打数81安打、打率.262、9本塁打、32打点を記録し、プロからも注目を浴びる存在となったのです。
大学卒業後でも十分プロにはいけるレベルだったのかもしれません。
それでも大学卒業後、社会人野球のJR西日本に入社を決めた杉本裕太郎選手。
JR西日本入社2年で、社会人を代表するスラッガーに成長した杉本裕太郎選手は、プロからも評価されるようになったのです。
このことから、杉本裕太郎選手は打撃力には相当自信があり、打撃でチームを引っ張ってきたことがわかりますね。
この特大ホームランの衝撃は凄まじかったでしょう!
プロのスカウトマンも「ピーン」ときたはずです。
ということで、杉本裕太郎選手の高校・大学・JR西日本(社会人)時代は、どの時代もチームの中心人物で、誰よりも勝利に貢献していたことがわかりました。
引き続き打撃力を磨き続け、さらなる飛躍に期待したいですね!
最後に
大柄な体格ながら足も俊足で、身体能力が抜群に高い杉本裕太郎選手。
学生時代とJR西日本時代から健在だった長打力は、現在(いま)も衰えを知らずにホームランを量産しまくっています!