梅野隆太郎が結婚した年上の嫁と子供の存在!高校・大学時代!日本新記録を更新した補殺がヤバすぎる!

梅野隆太郎(うめの りゅうたろう)捕手は1991年6月17日生まれの31歳(2023/05/31時点)・173cm・78kgで、福岡県那珂川市出身。

福岡工業大学付属城東高校から2013年にドラフト4位阪神タイガースに入団し、背番号は『2』です。

 

タマ
この記事では、梅野隆太郎捕手が結婚した年上の嫁と子供の存在。そして、高校・大学時代、さらに、日本新記録を更新したヤバすぎる補殺についても書いていきますので最後まで読んでほしいニャン!

梅野隆太郎が結婚した年上の嫁と子供の存在が気になる!

愛称が『梅ちゃん』でファンから愛されている梅野隆太郎捕手ですが、2017年の3月に福岡出身の年上の一般女性との結婚を発表していました。

福岡大学時代に知り合って交際に発展し、約5年の交際期間を経てからのゴールイン(結婚)だそうです。

 

タマ
結婚した嫁の名前は残念ながら不明ニャン。プロポーズは梅野隆太郎捕手からしたニャー!

 

梅野隆太郎捕手が結婚した嫁は、もともと美容師の仕事をしていたそうで、結婚を機に美容師の夢を諦め『アスリートフードマイスター』の資格を取得し、現在も旦那を全面的にサポートしている素晴らしい女性。

自分よりも相手のことを優先的にできる女性は稀有な存在だと思うので、梅野隆太郎捕手は一生涯かけて嫁を幸せにしてもらいたいですね。

 

また、結婚した嫁との婚姻届の提出日を3月21日にした梅野隆太郎捕手は、この日にした理由を34歳という若さで亡くなった母の誕生日と母への恩返しだからとしました。

梅野隆太郎捕手は「母がいなければ、こうやって毎日、ユニホームを着て、野球をできていない。プロ野球選手になれたことも、結婚できることも、すべては産んでくれた母のおかげ。感謝の思いしかない。開幕前という大事な時期ですが、母の誕生日に婚姻届を提出して、自分の中で、今季に懸ける気持ちも、より強くなっている。母も、きっと喜んでくれていると思います」とコメントしており、3月21日は梅野隆太郎捕手と嫁にとって大事な記念日であり、亡き母への感謝の気持ちも一生忘れることはないでしょうね。

 

タマ
できるだけ沢山『親孝行』していきたいと改めて思ったニャー!実家に帰る回数を少し増やすことから始めるニャン!

 

嫁との子供ですが、現時点では子供に関する情報がありませんので、まだ子供は誕生していないのかもしれません。
もし子供が誕生したら、容姿端麗で運動神経抜群の子供になることでしょうね!

 

ということで、梅野隆太郎捕手の子供に関する情報はありませんでしたが、素晴らしい嫁の存在がいたことはわかりました。
今後も、梅野隆太郎捕手の嫁と子供に関する情報が入り次第追記していきたいと思います。

梅野隆太郎の高校・大学時代が気になる!

小学2年生の時、父がコーチを務める少年野球チーム『片縄ビクトリー』で外野手をし、小学4年生から捕手に転向した梅野隆太郎捕手。

梅野一家は野球熱が凄いことが予想できますから、父の指導にもかなり熱が入っていたのではないかと思いますね。

 

中学時代は硬式野球チームの『那珂川シャークス』に在籍し、春季ジャパンリーグで2年連続優勝を果たすなど、4番・捕手としてチームを数々の大会で優勝に導いた実績がありました。

 

タマ
梅野隆太郎捕手は、小・中学時代から規格外の有望選手として期待されていたニャン!

 

そんな梅野隆太郎捕手は、特待生待遇で『福岡工大城東』入学すると、高校1年の夏からベンチ入りを果たします。

高校入学当初から『期待の1年生』として上級生からも注目されていたのかと思うと、本人(梅野隆太郎捕手)は内心ドキドキしていたのではないでしょうか。

高校2年の夏まで外野手のレギュラーとして活躍し、秋の新チームから捕手への復帰をするとともに主将も務めた梅野隆太郎捕手。

残念ながら甲子園出場は果たせませんでしたが、公式戦通算24本塁打を放ち、そして捕手としても注目が高かったと思います。

 

タマ
2009年のドラフト会議で、当時高校3年生だった梅野隆太郎捕手が指名される可能性があると大きな期待が寄せられていたニャー!

 

しかし、梅野隆太郎捕手は「下位指名でプロ野球に入れたとしても、身体もできていないし勝負できない」という理由で、地元の福岡大学への進学を決めました。
未熟な状態でプロの世界に行くよりも、焦らずじっくりと大学野球で力を蓄えた方が良いと判断したのでしょう。

 

大学進学直後の1年の春から、指名打者としてリーグ戦に出場した梅野隆太郎捕手は、捕手と主将の重要な役割を背負い、チームを4季連続の全国大会に導くなど、主将としても選手としても素晴らしい活躍をしてきました。
監督や仲間達からの信頼は凄く厚かったと思います。

 

さらに、大学4年の夏には大学日本代表に選出され、第39回日米大学野球選手権大会でホームランを放つなどの活躍を魅せます。

 

 

いやー見事なホームランですね!

 

タマ
梅野隆太郎捕手は大学日本代表でも主将を務めていて、選手以上に『キャプテンシー』としての評価も凄く高かったと思うニャー!

 

亡き母と約束した『必ずプロ野球選手になる』という目標のため、大学時代の梅野隆太郎捕手は着実に努力を積み重ねていたのでしょう。

 

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