ということで、坂本勇人選手もフライデーの餌食になっていたことがわかりましたね。
フライデーに関する新情報が入りましたら、この記事に追記していきたいと思います。
意外に無名!?坂本勇人の中学・高校時代!
坂本勇人選手は小学1年生の頃に野球を始め、田中将大投手(現ニューヨークヤンキース)が同じチームにいたみたいです。
当時は坂本勇人選手が投手、田中将大投手が捕手のポジションでバッテリーを組んでいたそうで、現在(いま)考えると超レアな組み合わせだと思いますね。
『伊丹市立松崎中学校』時代は、中学硬式野球チーム『伊丹シニア』に所属し、中学時代の坂本勇人選手は〝スイッチヒッター(左右両打席で打つ打者)〟だったそうで、野球が上手くても中々左右両方打ちは難しいはずなので、中学時代から野球センスと器用さが凄かったと思われます。
〝スイッチヒッター〟は私も挑戦した時代がありましたが、完全なる自己満足で終わり、試合では全く使い物になりませんでしたね。
高校は甲子園常連校の『八戸学院光星高等学校』の出身で、地元から離れて青森県の強豪高校に進学した坂本勇人選手。
青春の全てを野球に注ぎ込む覚悟だったのでしょうね!
その甲斐あって、高校1年の秋には遊撃手(ショート)のレギュラーの座を勝ち取り、高校通算39本のホームランも記録しています。
野球センスはもちろんのこと、高校時代からすでに(凄い選手特有の)雰囲気を纏っていたそうです。
高校1年の冬に野球を続けるか迷った時期もあったみたいですが、仲間や親の支えがあったおかげで、辞めずに乗り越えたことが坂本勇人選手にとって非常に大きな人生のターニングポイントになったに違いないでしょうね。
もし、高校の時に野球を辞めていれば、現在の坂本勇人選手は存在しなかったわけですから、野球を続ける選択をしてくれて本当に良かったと思います。
当時の八戸学院光星高校の監督は、坂本勇人選手が入学した時から〝この子は必ずプロに行くだろう〟と確信したそうです。
坂本勇人選手は、プロ野球選手になれる才能を中学・高校時代から持ち合わせていたのかもしれませんね!
しかし、これだけ才能に溢れた坂本勇人選手があまり有名ではなかったのは、同世代の選手がそれ以上に活躍し、かなり目立っていたからだと思います。
坂本勇人選手の中学・高校時代が無名だった真相は、同世代の活躍が1番の要因だったことが理解できましたね。
それでも、中学・高校時代の坂本勇人選手はポテンシャルが高く、現在の活躍に繋がるルーツが少しわかった気がします。
最後に
巨人に〝ハズレ1位〟で入団した坂本勇人選手ですが、結果的にチームとして坂本勇人選手を1位指名で獲得したことは大成功のドラフトだったと言い切れるでしょうし、本当に素晴らしいプロ野球選手だと思います。
坂本勇人選手なら3000本安打以上も十分に達成する可能性が高いでしょうね!
3回裏【巨3-2De】
1死1,2塁 3番 坂本勇人
レフトへタイムリー2塁打!
追いつかれるもすぐに勝ち越し!
最年少での通算400二塁打達成!pic.twitter.com/cWAPzWDuQ8— G魂インフォ (@Gspirit_info) October 2, 2021
今後も、坂本勇人選手の活躍と記録達成に目が離せませんね!
坂本勇人選手に関する新情報が入り次第、この記事で追記していきたいと思います。
最後まで読んで頂きありがとうございました。
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