今宮健太の高校時代がヤバい!?結婚した嫁と子供は?グローブと愛車が凄い!?

今宮健太(いまみや けんた)選手は1991年7月15日生まれの32歳(2024/03/19時点)で、大分県別府市出身。

身長173cm・体重80kg

明豊高校から2009年にドラフト1位でホークスに入団し、背番号は『6』です。

 

タマ

この記事では、怪童と呼ばれた高校時代について。そして、結婚した最愛の嫁や子供のこと。さらに、愛用グローブや愛車についても書いていきますので最後まで読んで欲しいニャー!

九州の怪童・今宮健太の高校時代が知りたい!

 

今宮健太選手は、福岡ソフトバンクホークスの不動のショートストッパーです。

守備が超一流で、毎年課題にしているバッティングの方も年々上向き傾向にあると思います。

 

今宮健太選手の高校時代は『九州の怪童』と呼ばれるほど規格外の選手でした。

大分県の名門で甲子園常連校の明豊高等学校の野球部で3年間を過ごし、他の部員よりズバ抜けた野球センスで『超高校級』の選手。

1年生からレギュラーで活躍し、投手&遊撃手を兼任していました。

 

また、今宮健太選手の肩は〝鉄砲肩〟と呼ばれるほど強肩で、プロになった現在(いま)も健在です。

 

 

タマ
今宮健太選手の肩の強さと守備力の高さヤバすぎるニャー!センスの塊だニャン!

 

ホークスではバントをよくするイメージがありますが、高校時代の今宮健太選手は、高校通算62本塁打と一発も打てる選手だったんですね。

さらに、投げては最速154㎞をマークするなど、高校時代はまさに『九州の怪童』の異名に相応しい高校球児でした。

 

そんな、九州の怪童・今宮健太選手には高校時代に宿命のライバルがいました。

その人物とは、現メジャーリーガーでシアトル・マリナーズの菊池雄星投手です。

高校時代、今宮健太選手は甲子園に2008年春、2009年春夏と3季出場を果たしています。

 

ライバル菊池雄星投手がいる岩手県代表の花巻東との最初の対戦は、2009年の春の選抜の2回戦。

 

好勝負が期待されましたが、結果は0-4で花巻東に完敗を喫しました。

今宮健太選手も菊池雄星投手から安打1本を打ったものの、2三振で力の差を見せつけられた形に。

 

しかし、花巻東へのリベンジに燃える明豊は2009年の夏、圧倒的な強さで地方大会を勝ち抜き甲子園に帰ってきました。

初戦から3回戦まで厳しい戦いを勝ち上がり、迎えた準々決勝で遂に宿命のライバルがいる菊池雄星投手を擁する花巻東との再戦となりました。

ですが、この宿敵・花巻東戦に先発した今宮健太選手は、4回途中までに4失点。

打線も菊池雄星投手の前に完全に抑えこまれてしまいます。

 

ところが、5回途中に菊池雄星投手が背中の痛みを訴え緊急降板すると、明豊の反撃が始まり、代わった投手から今宮健太選手の2塁打をキッカケに逆転に成功します。

それでも粘りをみせる花巻東は9回に追いつきますが、直後に再び今宮健太選手がマウンドに上がります。

 

その時の今宮健太選手は、非常に神がかっていたのを私はハッキリと記憶しています。

ピンチの場面で再びマウンドに上がった今宮健太選手ですが、それまでの自己最速の球速を1球投げるたびに更新していき、最終的に自己最速154㎞を記録し、2者連続でピンチを切り抜けました!

 

 

今宮健太選手はコメントはしてませんが、あの時の今宮健太選手は花巻東打線に対して「俺の後輩に何してくれとんのやー!!」と叫び声が聞こえるくらい鬼気迫るものがあり、まさしく『九州の怪童』と呼ぶに相応しい選手だと確信しましたね。

マジで覚醒状態、まさにゾーンに入っていたのかもしれません!

 

最後は10回に花巻東に決勝点を許してしまい、明豊は敗れてリベンジは果たせませんでしたが、記録にも記憶にも残る非常に素晴らしい試合だったと思います。

その後、皆さんご存知のようにプロに行ってからも、今宮健太選手と菊池雄星投手は幾度となく対戦していくことに。

 

今宮健太選手は投手でも凄いですが、持ち前の強肩を最大限に活かすショートのポジションにプロでは絞って正解だったと思います。

 

 

ということで、今宮健太選手の高校時代は超高校級の『九州の怪童』だったことがわかりましたね。

今宮健太が結婚した愛する嫁はほなみさん?子供の存在も気になる!

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