荻野貴司選手は1985年10月21日生まれの39歳(2024/11/21時点)で、奈良県高市郡明日香村出身。
奈良県立郡山高校から関西学院大学、そして社会人野球のトヨタ自動車を経て、2009年にドラフト1位で千葉ロッテマリーンズに入団し、背番号は「0」です。
荻野貴司が結婚した年上の嫁と子供の存在が気になる!
パンチ力もあり、どのコースにも柔軟に対応する打撃を見せる荻野貴司選手。
特に、右打者にもかかわらず一塁への到達タイムは3.31秒とプロ野球界トップクラスのスピードを誇り、その走力を活かした守備も魅力の選手ですね!
また、荻野貴司選手はイケメンと呼び声も高く、女性ファンからも人気の選手と言えます。
めちゃくちゃ男前の荻野貴司選手ですが、実はすでに結婚しており、結婚相手は東京都出身の1歳年上の一般女性との事でした。
ロッテ荻野結婚、年上女性に看病され接近
ロッテ荻野貴司外野手(29)が東京都出身の会社員の女性と結婚したことが12月31日、分かった。荻野の誕生日だった10月21日に婚姻届を提出した。相手の女性は年上で長身の美女。すでに新居で生活を始めている。
引用元:日刊スポーツ
残念ながら、名前や画像は一般人の方のなので非公開になって見ることはできませんが、二人の出会いはチームメイトの先輩だった堀内久雄さんの紹介だったそうです。
交際のキッカケは、荻野貴司選手が怪我でのリハビリ期間中に現在(いま)の嫁さんがサポートしてくれたお陰とありますが、荻野貴司選手の一目惚れで交際スタートしたとも言われているので、どのみち運命の相手だということは違いないでしょう!
さらに、荻野貴司選手の嫁さんが凄いのは、スポーツ選手にとって重要な能力、アスリート・フードマイスターの資格を持っているとのこと!
アスリート・フードマイスターは食事のバランス、食べるタイミング、食材の調理方法などを栄養学の視点で総合的に判断して献立を組み立てられる事ができるそうなので、荻野貴司選手は食事面に関して嫁さんに全てを任せても何も問題ありませんね!
料理の腕前&栄養面での完全サポートを実現している嫁さんとの子供ですが、調査してみたところ現時点では子供の存在が明らかとなる情報はありませんでした。
もしかしたら公になっていないだけで子供がいるのかもしれませんし、もしくは嫁さんのお腹の中に子供がいるかもしれません。
引き続き、荻野貴司選手が結婚した嫁さんと子供に関する情報が入り次第追記していきたいと思います。
走攻守3拍子揃った荻野貴司に注目!
2019年シーズンに、プロ入り10年目にして初の規定打席に到達し、リーグ3位の打率.315、リーグ4位の28盗塁をマークしたほか、ベストナインとゴールデングラブ賞も初受賞した荻野貴司選手。
毎年のように活躍を期待されるも、怪我との戦いが続いて悔しいシーズンを過ごすことが多数ありましたが、ここ数年は安定した成績を残していますね!
まずは走塁に関してですが、荻野貴司選手は30代半ばを迎え、ベテランの域に達しているといっても過言ではありませんし、50メートル走のタイムは6秒切るほどで図抜けた速さではありません。(私からすれば頭抜けて速すぎますが)
ですが、右打者にもかかわらず一塁への到達タイムは3.31秒のスピードを誇り、内野安打を量産してきた選手です。
松井稼頭央さん・柳田悠岐選手・本多雄一さん・西川遥輝選手など蒼々たるメンバーの中、全く引けを取らない荻野貴司選手の一塁到達タイムはヤバすぎますね!
右打者は、左打者と比較すると一塁までの距離が若干長いので、内野安打になりづらいにもかかわらず、荻野貴司選手はそれをものともせずに内野安打にしてしまうわけです。
また、入団1年目から11年連続で二桁盗塁も記録しています。
通算盗塁成功率は、NPB(日本プロ野球機構)で通算200盗塁以上を達成している選手の中で、日本ハムの西川遥輝選手の.864に次ぐ2位の数値となる.842を記録していますね!
守備に関しては、大学までは遊撃手として活躍していたのですが、プロに入ってからは主に外野を守っています。
足の速さを活かした外野での守備範囲は言わずもがな、肩の強さも魅力的です!
ヒット性の当たりも、俊足を活かした守備範囲でアウトにしてしまうので、こういう熱いプレーをしてくれると投手は非常に助かるし、調子が劇的に上がる可能性が高いから、結果的にチームの勝利に直結するスーパープレーとなるわけですね!
ファンも多いに盛り上がる素晴らしい守備力だと思います。
打撃に関しては、前述でもお伝えした通り非常にパンチ力があり、コースにも柔軟に対応する打撃技術を持ち合わせてますね!
打率も顕著に2割台後半から3割台前半をここ数年ではコンスタンスに打っています。
今後も、荻野貴司選手の走攻守に注目していきましょう!
荻野貴司の高校・大学・トヨタ時代にも迫る!
前述でも書いた通り、走攻守揃ったレベルの高い技術で活躍している荻野貴司選手ですが、これまでの野球人生の歩み方が気になりますよね。
そこで、高校〜トヨタ(社会人野球)時代まで調べてみました。
中学卒業後、奈良県立郡山高校に進学し、高校2年の夏からレギュラーとして試合に出るようになりました。
高校3年最後の夏の大会では中心選手として活躍するも、惜しくも県予選準優勝に終わり、高校時代は甲子園に出場することはありませんでした。
負けたら終了のトーナメント戦ですから、甲子園への切符を手に入れる過酷さは異常ですし、誰もが行けるわけじゃないからこそ必死に練習して試合に臨むわけですよ!
高校卒業後、関西学院大学に進学した荻野貴司選手は、大学1年秋(2004年)から遊撃手のレギュラーとして活躍することに!
大学4年春には、17盗塁で23年ぶりとなるリーグ新記録を樹立すると(現在も春季リーグ終了時点でも破られてはいない)、最終的に関西学生リーグで通算80試合に出場し、295打数98安打・打率.332・3本塁打・35打点・47盗塁・ベストナイン5度受賞の記録を残しました。
大学4年生の荻野貴司選手はタイトル総ナメ状態で凄すぎますね!
なお、同期に北海道日本ハムファイターズの宮西尚生投手がいたようです。
大学卒業後は、社会人野球のトヨタ自動車へ入社と同時に外野手に転向し、オープン戦で1試合3本塁打を記録するなど、トヨタ入社早々に活躍していました。
同年の第35回日本選手権で3番打者として出場し、打率.409(長打率.682)の好成績でチームの連覇に貢献し社会人ベストナイン外野手部門を受賞するまで活躍!
この活躍もあって、プロ野球選手への道が大きく開いたわけですが、この頃からすでに万能選手だったことがわかりますね!
ということで、荻野貴司選手の高校・大学・トヨタ自動車(社会人野球)時代を振り返ってみましたが、現在のプレースタイルの基盤が培われていたことが理解できました。
きっと、誰よりも努力をしてきたに違いないでしょう!
最後に
ベテランの域に達したとはいえ身体能力が高く、どこでも守れるし走れる荻野貴司選手。
自分の強みを活かしてこれからも1年でも長く活躍してほしい選手ですね!