堂林翔太選手は1991年8月17日生まれの31歳(2023/05/29時点)で、愛知県豊田市出身。
中京大学付属中京高校から2009年にドラフト2位で広島東洋カープに入団し、背番号は〝7〟です。
堂林翔太が結婚した嫁の枡田絵理奈と子供の存在!
カープのプリンスと言われるほどイケメンすぎる堂林翔太選手ですが、2014年のクリスマスに元TBSアナウンサーで、現在はフリーアナウンサーの枡田絵理奈さんと結婚しました。
枡田絵理奈さんは、美人アナウンサーとしても人気を博している女性ですね!


堂林翔太の中学・高校時代が別格すぎた!
小学2年生の時に『豊田リトル』で野球を始めた堂林翔太選手ですが、中学時代を硬式野球チームの『豊田シニア(リトルシニア)』に所属することに。
中学時代は投手兼遊撃手(ショート)を任され、中学時代からすでに、野球のセンスが高い選手だったことが理解できますね!
中学時代の堂林翔太選手は、現在メジャーリーガーの菊池雄星投手とも対戦したことがあり、のちに甲子園でも対戦しました。
堂林翔太選手も菊池雄星投手も、中学時代から完全に頭一つ抜けた別格の選手だったのでしょう!
堂林翔太選手は中学卒業後、地元・愛知県の『中京大学附属中京高等学校』に進学します。
甲子園の優勝回数は春4回・夏7回の合計11回で、夏の優勝回数は全国最多回数(2020年まで)の高校野球の超名門高校ですね。
堂林翔太選手や嶋基宏選手など、多くのプロ野球選手を排出している高校だニャー!
高校入学した堂林翔太選手は、高校1年の春から投手としてベンチ入りを果たすと、高校1年の秋から高校2年夏にかけては打力を評価され、一塁手として活躍。
投げても一流、打っても一流と、堂林翔太選手の高校時代は『二刀流』として別格の存在として第注目されていましたね。
そして、2009年の夏の甲子園ではエース兼4番として投打でチームを牽引し、打率.522、12打点、1大会通算最多タイとなる6二塁打を記録するなど、中京大中京高校を優勝に導きましたね!
広島・堂林「球場の外で試合見ていた感覚だった」 夏の甲子園史に残る決勝の裏側09年8月24日、日本文理との決勝戦。エース兼4番としてチームを43年ぶりの夏制覇へ導いた堂林だったが、優勝インタビューでは「すいませんでした」と涙を流した。
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