工藤公康(くどう きみやす)監督は1963年5月5日生まれの61歳(2024/11/21時点)・身長176cm・体重80kgで、愛知県豊明(とよあけ)市出身。
名古屋電気高校から1981年にドラフト6位で西武ライオンズに入団し、2010年8月25日に現役引退。
2015年から福岡ソフトバンクホークスの監督に就任し、2021年シーズン限りで監督退任。
工藤公康の監督としての年俸が気になる!
今12球団で一番結果を残していると言っても過言ではない監督が、福岡ソフトバンクホークスの工藤公康監督ですね。
先程も冒頭で紹介しましたが、2015年からホークスの監督に就任し、4シーズンで2度のリーグ制覇に4度の日本一に導いた名監督です。
また工藤公康監督は采配もすごいですが、投手出身なだけに投手の育成も素晴らしいと思います。
有名なとこで紹介すると、ホークスの東浜巨投手は、工藤公康監督の教えと努力の甲斐あって2017年のシーズンで16勝5敗で最多勝を獲得し、チームの日本一に貢献したというのは記憶に新しいかと思います。
工藤公康監督は「バッターのことは分かんないけど、ピッチャーなら自分の分かる限りアドバイスすることができる」とコメントしています。
現役時代、224勝の勝ち星を積み重ねた工藤監督のアドバイスなら絶対聞くし、努力しますよね。
工藤公康監督が就任してからのホークスは投手陣がホントに磐石で、『投手王国』と呼ばれるほど他チームを圧倒しています。
そんな実績のある工藤公康監督ですが、年俸はいくらなのか?
気になる方も多いのではないでしょうか。
ということで他球団の監督も含め、ランキング形式で年俸を紹介していきます。
12球団プロ野球監督年俸ランキング(2018年)
- 1位 阪神タイガース 金本監督 1億2000万円
- 2位 ソフトバンクホークス 工藤監督 1億円
- 2位 楽天イーグルス 梨田監督 1億円
- 2位 巨人 高橋監督 1億円
- 2位 中日ドラゴンズ 森監督 1億円
- 6位 ロッテ 井口監督 8000万円
- 6位 広島カープ 緒方監督 8000万円
- 6位 ヤクルト 小川監督 8000万円
- 9位 西武ライオンズ 辻監督 7000万円
- 9位 日本ハム 栗山監督 7000万円
- 9位 DeNA ラミレス監督 7000万円
- 12位 オリックス 福良監督 5000万円
工藤公康監督が一番年俸が高いのかと思いましたが、阪神の金本監督(現在は矢野監督)がトップでしたね。
ですが、工藤公康監督も年俸1億円とは中々もらってる方ではないでしょうか。
意外にもパ・リーグの監督よりセ・リーグの監督の年俸の方が高いことがわかりましたね。
ちなみに、星野監督、原辰徳監督、落合監督、野村克也監督らは年俸2億〜3億円だったそうです。
名監督ですから当然でしょうが凄い金額ですね。
個人的には工藤公康監督の実績なら年俸2億円以上あってもいいでしょうけども。
工藤公康の圧倒的な現役時代の成績に注目!
工藤公康監督は、監督としても素晴らしいですが、現役時代もレジェンドクラスの選手だったんです。
1982年にプロ入りした工藤公康監督は、西武、ダイエー、巨人、横浜、西武(第2次)の球団で活躍しました。
西武、ダイエー、巨人の3球団で日本シリーズを制覇し『優勝請負人』と呼ばれるほど!
そんな工藤公康監督の現役29年間の成績と年俸を見てみましょう。
成績推移
- 1982年 西武 登板27 1勝1敗 投球回28.2 四球21 死球1 三振29 失点11 自責点11 防御率3.41
- 1983年 西武 登板23 2勝0敗 投球回33.1 四球13 死球0 三振24 失点13 自責点12 防御率3.24
- 1984年 西武 登板9 0勝1敗 投球回12.1 四球10 死球1 三振8 失点4 自責点4 防御率2.92
- 1985年 西武 登板34 8勝3敗 完投8 投球回137 四球73 死球2 三振104 失点44 自責点42 防御率2.76
- 1986年 西武 登板22 11勝5敗 完投10 完封2 投球回145.1 四球56 死球1 三振138 失点53 自責点52 防御率3.22
- 1987年 西武 登板27 15勝4敗 完投23 完封2 投球回223.2 四球64 死球2 三振175 失点65 自責点60 防御率2.41
- 1988年 西武 登板24 10勝10敗 完投11 完封2 投球回159 四球70 死球1 三振94 失点77 自責点67 防御率3.79
- 1989年 西武 登板33 4勝8敗 完投4 投球回118 四球76 死球2 三振94 失点70 自責点65 防御率4.96
- 1990年 西武 登板13 9勝2敗 完投4 完封1 投球回85.2 四球46 死球2 三振89 失点33 自責点32 防御率3.36
- 1991年 西武 登板25 16勝3敗 完投10 完封4 投球回175.1 四球75 死球0 三振151 失点55 自責点55 防御率2.82
- 1992年 西武 登板25 11勝5敗 完投6 完封3 投球回150.2 四球69 死球3 三振133 失点60 自責点59 防御率3.52
- 1993年 西武 登板24 15勝3敗 完投4 投球回170 四球65 死球2 三振130 失点46 自責点39 防御率2.06
- 1994年 西武 登板24 11勝7敗 完投4 完封1 投球回130.2 四球44 死球3 三振124 失点54 自責点50 防御率3.44
- 1995年 ダイエー 登板22 12勝5敗 完投6 完封1 投球回163 四球48 死球0 三振138 失点69 自責点66 防御率3.64
- 1996年 ダイエー 登板29 8勝15敗 完投9 完封1 投球回202.2 四球70 死球1 三振178 失点94 自責点79 防御率3.51
- 1997年 ダイエー 登板27 11勝6敗 完投0 完封0 投球回161.1 四球48 死球3 三振146 失点61 自責点60 防御率3.35
- 1998年 ダイエー 登板15 7勝4敗 完投1 完封0 投球回93.2 四球28 死球2 三振65 失点35 自責点32 防御率3.07
- 1999年 ダイエー 登板26 11勝7敗 完投7 完封3 投球回196.1 四球34 死球1 三振196 失点56 自責点52 防御率2.38
- 2000年 巨人 登板21 12勝5敗 完投1 完封1 投球回136 四球16 死球1 三振148 失点53 自責点47 防御率3.11
- 2001年 巨人 登板5 1勝3敗 完投0 完封0 投球回21.1 四球7 死球0 三振8 失点21 自責点20 防御率8.44
- 2002年 巨人 登板24 9勝8敗 完投1 完封1 投球回170.1 四球26 死球2 三振151 失点61 自責点55 防御率2.91
- 2003年 巨人 登板18 7勝6敗 完投4 完封2 投球回117 四球22 死球3 三振115 失点56 自責点55 防御率4.23
- 2004年 巨人 登板23 10勝7敗 完投2 完封0 投球回138.2 四球33 死球1 三振128 失点78 自責点72 防御率4.67
- 2005年 巨人 登板24 11勝9敗 完投1 完封0 投球回136 四球44 死球1 三振130 失点73 自責点71 防御率4.70
- 2006年 巨人 登板13 3勝2敗 完投0 完封0 投球回70 四球19 死球3 三振52 失点41 自責点35 防御率4.50
- 2007年 横浜 登板19 7勝6敗 完投0 完封0 投球回103.2 四球28 死球4 三振73 失点46 自責点45 防御率3.91
- 2008年 横浜 登板3 0勝2敗 完投0 完封0 投球回13.2 四球5 死球1 三振7 失点13 自責点8 防御率5.27
- 2009年 横浜 登板46 2勝3敗 完投0 完封0 投球回37.1 四球14 死球0 三振24 失点30 自責点27 防御率6.51
- 2010年 西武 登板10 0勝2敗 完投0 完封0 投球回6 四球4 死球0 三振7 失点7 自責点7 防御率10.50
- 通算 登板635 224勝142敗 完投116 完封24 投球回3336.2 四球1128 死球43 三振2859 失点1379 自責点1279 防御率3.45
年俸推移
- 1981年 ドラフト6位 契約金6000万円(西武ライオンズに入団)
- 1982年 西武 480万円
- 1983年 西武 600万円
- 1984年 西武 680万円
- 1985年 西武 560万円
- 1986年 西武 1520万円
- 1987年 西武 2900万円
- 1988年 西武 5300万円
- 1989年 西武 5500万円
- 1990年 西武 4600万円
- 1991年 西武 5600万円
- 1992年 西武 8500万円
- 1993年 西武 9500万円
- 1994年 西武 1億6000万円
- 1995年 ダイエー 1億6000万円
- 1996年 ダイエー 1億6000万円
- 1997年 ダイエー 1億4500万円
- 1998年 ダイエー 1億6000万円
- 1999年 ダイエー 1億5000万円
- 2000年 巨人 1億5000万円+契約金7500万円
- 2001年 巨人 3億円
- 2002年 巨人 2億4000万円
- 2003年 巨人 3億円
- 2004年 巨人 2億8000万円
- 2005年 巨人 2億9000万円
- 2006年 巨人 2億9000万円
- 2007年 横浜 9000万円
- 2008年 横浜 1億1000万円
- 2009年 横浜 5000万円
- 2010年 西武 3000万円
- 総額 35億9740万円
工藤公康監督の選手時代の成績と年俸の推移を見てわかりますが、29年間もプロで戦うことだけでも凄いのに、着々と実績も積み重ねているというまさに投手の見本となるレジェンドですね。
ホークスの投手陣も工藤公康監督のような投手が多く存在すれば、他チームにとって脅威になること間違いないでしょう!
気になる工藤公康の嫁と子供!
工藤公康監督の嫁と子供ですが、男の子2人、女の子3人の7人家族みたいですね。
まず工藤公康監督の嫁ですが、嫁の名前は工藤雅子さん。
若手の頃の工藤公康監督は、酒などの不摂生が重なって1989年に肝機能障害を発症させ、医者から余命宣告を出されるほど危険な時期がありました。
そんな工藤公康監督を救ったのが栄養士である嫁の雅子さんで、弱気になっていた工藤公康監督を支え続け見事に体調不良を克服し、プロ野球で成功を収めることができました。
それ以来工藤公康監督は栄養値の高い食事を食べたり、毎日青汁を飲んだりと健康管理は徹底しているそうです。
工藤公康監督は嫁の雅子さんと結婚してよかったですね。
嫁・雅子さんとの子供ですが、長男の工藤阿須加さんは芸能界で俳優として活躍しています。
全体的に父の工藤公康監督に似ていますが、目元や鼻など顔のパーツは母の雅子さんにそっくりでイケメンですね。
これからも注目の俳優さんです。
工藤公康監督の長女は、プロゴルファーの工藤遥加さん。
父がプロ野球選手なら、その娘はプロゴルファーと、アスリートの遺伝子をしっかりと受け継いでますね。
プロゴルファーとしてはまだ有名ではないですが、いつか父の工藤監督や兄の工藤阿須加さんのように活躍して『賞金女王』のタイトルを獲ってほしいですね。
そして次男の工藤拓也さんは『父を喜ばせたい』と日本ウェルネス高校の野球部に所属しています。
日本ウェルネス高校は昨夏の東東京大会で16強入りを果たした強豪で、元々投手だった次男の工藤拓也さんは昨春から外野手に転向し、父の工藤公康監督と同じ左投左打です。
偉大な父の存在にプレッシャーを感じることもあったそうですが、父から「お前がたとえ下手でも俺の息子とか関係ないよ。自分なりの野球をして、もし試合に出られなくても、そこで良い経験ができるからしっかりやりなよ」と背中を押して、次男の工藤拓也さんは野球に打ち込めたそうです。
下二人の子供の活躍もこれから楽しみですね。
とても仲が良く暖かい印象の持てる家族だと思います。
工藤公康監督にとって、嫁と子供の存在が一番の支えでしょうね。
今後も、工藤公康監督の嫁と子供に関する情報が入り次第追記していきたいと思います。
最後に
今回改めて、工藤公康監督の選手時代の成績や監督としての実績の厚みや凄さがわかりました。
また、工藤公康監督を支える嫁や子供達の存在が大きいこともわかりましたね。
これからも工藤公康監督の采配から目が離せませんね。
そして、2021年シーズン限りで監督を退任することとなった工藤公康さん。
8年ぶりのBクラスに責任を取る形になりました。
7年間で3度のリーグ優勝、5度の日本一に導いた工藤公康さんはまさに名将と呼ぶに相応しい監督でしたね!
また球界に復帰することを願いましょう!
これからは、趣味のキャンプや九州をゆっくりと転々としながら、お礼参りに時間をかけて周りたいと話していましたね。
今後も、工藤公康さんの活躍と動向に注目し、情報が入り次第追記していきたいと思います。
最後まで読んで頂きありがとうございました。