松山竜平選手は1985年9月18日生まれの39歳(2024/11/21時点)で、鹿児島県曽於郡大崎町(そおぐんおおさきちょう)出身。
鹿屋中央高校から九州国際大学を経て、2007年に大学生・社会人ドラフト4位で広島東洋カープに入団し、背番号は『55』です。
この記事では、松山竜平選手が結婚した嫁と子供の存在について。そして、メガネの秘密とアンパンマンの由来のこと。さらに、高校・大学時代についても書いていきますので最後まで読んで欲しいニャー!
松山竜平の嫁と子供の存在!
お立ち台でのきまり文句は「鹿児島のじいちゃんばあちゃん、今日俺やったよ!」でお馴染みの松山竜平選手。
インタビュアーのアナウンサーも「最後にあの一言お願いできますか?」と欲しがるほど定着していますね!
多くのカープファンから愛されているのがビンビンに伝わってくるニャー!
そんな松山竜平選手は、2010年11月頃に大学時代から交際していた一般女性と結婚していたことがわかりました。
結婚した女性は千晶さんというそうで、残念ながら一般女性なのでお顔は拝見できませんでしたが、きっと素敵な女性だと想像しておきましょう!
松山竜平選手は嫁の千晶さんに対して「(プロ野球選手だから)1年の半分以上は自宅にいないので、子供のことも含め、嫁には大変な思いさせているし迷惑ばかりかけている」と話しています。
家族を養う為に仕事をしているわけですから、決して迷惑とは考えてないでしょうけど、こうやって愛する嫁のことを気遣えるから素敵だと思います。
これに対し、嫁の千晶さんは「しっかりやって来なさい!」と、松山竜平選手の背中を押してくれるのだそうです。
『家のことは安心していいから奮闘しておいで!』といった嫁・千晶さんなりのエールですよね!
素晴らしい夫婦愛だニャー!ちなみに嫁の千晶さんは広島出身ということもあり、松山竜平選手はずっと広島一筋みたいだニャン!
さらに、嫁の千晶さんは料理も凄く上手だそうで、松山竜平選手が嫁の手料理で一番大好物なのが『カレー』。
「どの料理も美味いけど、カレーが特に美味しいです」と、長年連れ添っている大切なパートナーから、ガッツリ胃袋を掴まれていることが理解できますし、しっかり食事管理もされているでしょうから安心ですね!
松山竜平選手と嫁の千晶さんとの子供ですが、2011年2月に長男、2012年11月に次男、2016年11月頃に三男と、3人の子供の存在がいます。
3人の男の子なら凄く頼もしいし、お父さんが仕事で家に居なくても安心ですね!
松山竜平選手は「引退したら、家族といる時間は欲しいですね」とコメントしていて、今まで嫁や子供たちと時間を共有できなかったからこそ欲する大切な家族との時間だと思います。
それまでは存分に結果を残せるよう奮闘してもらいましょう!
今後も、松山竜平選手の嫁と子供に関する情報が入り次第追記していきたいと思います。
松山竜平のメガネの秘密を公開!
松山竜平選手のトレードマークと言えば『メガネ』ですね!
あまりプロ野球選手にメガネをかけてプレイする選手はいないので、メガネをかけてプレイする松山竜平選手は珍しいと感じちゃいます。
過去にはメガネをかけてプレイしていた選手が沢山いたが、やはり一番記憶に残っているのは古田敦也さんだニャー!
古田敦也さんは歴代プロ野球界で、最強の捕手と称されても過言ではないでしょうね!
メガネといったら古田敦也さんというくらい、メガネが定着していました。
しかし、現在のメガネが似合って印象が強い現役選手代表で言えば、間違いなく松山竜平選手だと思います。
松山竜平選手が試合中にかけてるメガネって、非常にオシャレで目立ちますよね!
実はというか当然というか秘密というほどでもないでしょうけど、松山竜平選手がかけているメガネは度が入っているそうです。
(メガネをかけて打席に立っている松山竜平選手を)初めて見たときは伊達メガネかなと思ってしまいましたが、度付きメガネだと知ったときは(伊達メガネだと思って)申し訳ない気持ちになりましたね。
ちなみに、デイゲームの時は『度付きサングラス』をかけて試合に臨んでいる松山竜平選手。
一見怖いお兄さんに見えなくもありませんが、もちろん見た目だけですよ!
度付きメガネ(サングラス)のメーカーは『オークリージャパン』だそうです。
ということで、松山竜平選手は両目の視力が0.6以下しかない理由で、度付きメガネ(サングラス)をつけて試合に臨んでいたことがわかりました。
今後も、松山竜平選手のメガネに関する情報が入り次第追記していきたいと思います。
松山竜平がアンパンマンと言われる由来が知りたい!
チームメートや多くのファンから愛されている松山竜平選手は、『アンパンマン』のニックネームで呼ばれています。
子供(主に幼児)が大好きなアンパンマンですね!
誰もがアンパンマンを観て成長してきたニャー!私もその一人だニャン!
松山竜平選手のニックネーム・アンパンマンは、大学3年生の時に先輩から付けられたそうです。
プロ入り後も「アンパンマンで僕の名前を覚えてくれるなら喜んで呼ばれたい」とファンに呼びかけるほど、アンパンマンが松山竜平選手の中で定着しているのでしょう!
アンパンマンは永劫不滅のアニメですね!
ちなみに、松山竜平選手の登場曲は2017年まで『アンパンマンのマーチ』でした。
そして、松山竜平選手がホームランを放つと『松山のアンパンチが炸裂』と表現されることも定着してますね。
最早、アンパンマンと松山竜平選手は一心同体と言えるでしょう!
今後も、アンパンマンこと松山竜平選手の活躍に期待しましょう!
松山竜平の高校・大学時代が気になる!
松山竜平選手は小学3年生の時にソフトボールを始め、小学6年生で全国大会で優勝を経験しています。
右利きの松山竜平選手が左打ちになったのは、ソフトボール時代の監督のススメだったとか。
ソフトボール時代の監督は、
福留孝介選手を育てた新留勝郎監督だそうだニャー!凄い監督のもとでソフトボールをやっていたニャン!
大崎中学時代は、硬式野球チームの『鹿屋ビッグベアーズ』に所属し、野球に明け暮れていた松山竜平選手は中学卒業後、鹿屋中央高等学校に進学します。
高校1年生から『エースで4番』を任された松山竜平選手は、調子に乗ることなく猛練習の日々を高校時代過ごしたそうです。
高校時代は通算20本のホームランを記録し、『大隅のボンズ』という異名もついたニャー!
規格外だった高校時代を経て、九州国際大学に進学した松山竜平選手は、当然の如く大学1年生の春から試合に出場します。
大学4年の時には、当時が全盛期と言われ大注目されていた
斎藤佑樹投手から2塁打を放ち、松山竜平選手も注目されていましたね。
4年間で首位打者2回、本塁打王1回、打点王3回、通算安打数122本と九州六大学リーグの新記録を作ったニャー!『大隅のボンズ』はヤバすぎるニャン!
ということで、松山竜平選手の高校・大学時代、さらには小学・中学時代も規格外に凄く、そして野球が大好きな少年だったこと伝わりましたね。
今後も、松山竜平選手のルーツが分かる情報が入り次第追記していきたいと思います。
最後に
今回、松山竜平選手に関する記事を書かせて頂いて率直な感想を一言で言うと、『見た目が怖そうだけど、多くの方から凄く愛されている選手』でした。
勝手にギャップにやられて、めちゃくちゃファンになりましたね!
人を見た目で勝手に判断したら絶対駄目だニャー!
今後も、松山竜平選手の活躍と動向に注目し、情報が入り次第追記していきたいと思います。
最後まで読んで頂きありがとうございました。