斎藤佑樹投手は1988年6月6日生まれの34歳(2023/05/31時点)で、群馬県太田市出身。
早稲田実業高校から早稲田大学を経て、2010年にドラフト1位で北海道日本ハムファイターズに入団し、2021年10月1日に現役引退を表明。
斎藤佑樹が結婚した嫁と子供の存在が気になる!
早稲田実業高等学校3年生のときに、夏の甲子園での決勝再試合を勝ち抜いて見事優勝に導き、『佑ちゃんフィーバー』を巻き起こした斎藤佑樹投手ですが、2019年12月31日に結婚を発表しました。
様々なことがありましたが、ようやく『ハンカチ王子』と言われた斎藤佑樹投手も結婚したということで明るい気持ちにさせてくれましたね。
久々に世間の話題となった斎藤佑樹投手の結婚ですが、残念ながら本業での野球の活躍は中々ファンに見せられていないのが現状もあります。
これを機に、高校・大学時代の輝きを取り戻してほしいですね。
さて、気になるのは結婚した嫁の情報ですが、学生時代からの知り合いで、怪我に苦しむ斎藤佑樹投手をずっと支え続けた女性であるとの情報が出ています。
結婚した斎藤佑樹投手の嫁は一般女性ですので顔出し画像はありませんでしたが、凄く美人な雰囲気が出ていますね。
若い頃からメディアに注目されていた斎藤佑樹投手は、過去にも深田恭子さんや北川景子さんや相武紗季さんといった美人タレントとの交際の噂が絶えなかったですが、結婚して家庭を持つことになったので是が非でも活躍してもらいたいと思います。
嫁との子供はまだ誕生されておらず、また嫁が子供を妊娠されているとの報道も出ていません。
斎藤佑樹投手の子供の誕生も楽しみにしておきましょう!
今後も、斎藤佑樹投手の嫁と子供に関する情報が入り次第追記していきたいと思います。
斎藤佑樹が引退と噂されている真相!
大きな期待を背に入団した斎藤佑樹投手ですが、プロ入り後の成績は芳しい成績をあげていないにも関わらず、何故斎藤佑樹投手はここまでメディアの注目を浴びているのでしょうか。
信じたくはありませんが、一部で(斉藤由貴投手の)引退の噂も耳にしますね。
古くからの野球ファンはご存知の方も多いと思いますが、ここで斎藤佑樹投手のアマチュア時代を振り返ってみましょう。
地元の群馬を離れて兄と二人暮らしで早実高校に進学。
早実高校に進学した理由として『文武両道を目指す』ことであると後に語っていますね。
高校3年生夏の西東京大会で、優勝候補筆頭と言われた日大三高校を破り甲子園大会に出場しましたが、当初は小柄で細身な体格であることから大会当初はあまり注目をされていなかった斎藤佑樹投手。
それでも甲子園大会で試合を勝ち進めるごとに、端正なマスクやマウンド上で自身のハンカチで汗を拭う姿から『ハンカチ王子』の愛称で人気が爆発的に上昇しました。
甲子園大会では中田翔(当時2年・現日本ハム)を擁する大阪桐蔭高校ら、並み居る強豪を撃破し、決勝では世代最強のエース田中将大投手(現ニューヨークヤンキース)を擁し、夏の甲子園3連覇は確実と言われていた駒大苫小牧高校と対戦することになります。
斎藤佑樹、田中将大両エースの投げ合いは延長15回でも決着がつかず、再試合となった翌日に4対3という僅差で早実高校が勝利し、夏の甲子園初優勝を成し遂げました。まるで漫画のようなドラマティックな優勝劇には当時日本中が注目し『ハンカチ王子』という愛称は2006年新語・流行語大賞のトップ10に入賞しました。
その後の国民体育大会でも投げ合った2人(試合は早実が1-0で勝利)ですが、田中将大投手がプロ入りを表明し、東北楽天ゴールデンイーグルスに入団した一方で、斎藤佑樹投手はプロ志望届は提出せずに早稲田大学に進学し、東京六大学リーグでプレイすることになります。
斎藤佑樹投手は、大学1年生ながら春のリーグ戦で開幕投手を務め、リーグ優勝がかかった早慶戦でも勝ち投手となり、大学1年生投手としてはリーグ史上初のベストナインに選ばれます。
高校時代同様、実力・人気共にうなぎのぼりに凄かったですね!
秋のリーグ戦でもリーグ優勝とベストナインの栄冠を手にするなど、高校時代に続き大学野球でも頂点を掴むことになります。
しかし、華々しいデビューを飾った1年生を終えて2年、3年のシーズンは思うような成績をあげられず、投球フォームを崩すなど本来の力を発揮できませんでした。
それでも大学野球ラストシーズンとなった4年秋には自身4度目のリーグ優勝に貢献すると、同年の神宮野球大会大学の部では早大史上初の優勝も達成するなど、エース復活をアピールしました。
アマチュア時代の華々しいキャリアを引っ提げ、2010年にドラフト1位では日本ハムに入団し、入団当初の背番号はエースナンバーの『18』。
入団したてのルーキーが、エースナンバーを背負う時点で期待のされ方が半端ないことが理解できますね。
プロ入り後は登板の度にマスコミから大きく報道されたり、1年目から2年連続でオールスターに出場するなど、実力よりも話題が先行になるかたちでした。
しかし、プロ2年目に5勝をあげたのを最後に、1軍での登板は年に数回ほどしかなく、背番号を『1』に変更した2017年以来、1軍での勝ち星からも遠ざかっています。
(斎藤佑樹投手は)プロの世界は甘くなかったと痛いほど痛感したことでしょうね。
そんな状況で、斎藤佑樹投手と早大時代の同期だった大石達也さん(元埼玉西武ライオンズ)が現役を引退し、福井優也投手(2010年ドラフトで広島東洋カープから1位指名。現楽天)はトレードで放出されるなど、キャリアの転換を迎えています。
同期が現役引退するのは精神的ダメージが大きいことでしょうし、特に大石達也さんはドラフトで斎藤佑樹投手を上回る6球団から1位指名を受けるなど、そのポテンシャルは斎藤佑樹投手を上回っていましたからね。
そんな同期の選手が現役引退するのを見て、世間のファンやマスコミが「次に引退するのは1軍でほとんど活躍できていない斎藤佑樹投手が引退する番なのでは」と推測するのも無理はありません。
斎藤佑樹投手には、現役を引退した同期の分まで何とか踏ん張ってほしいと思います。
斎藤佑樹は何故ダメになったのか!?
マスコミが大きく斎藤佑樹投手を報道する一方で、甲子園決勝で投げ合った田中将大投手は遠い雲の上の存在になってしまいました。
2013年の東北楽天ゴールデンイーグルスが日本一に輝いたのも、当時楽天のエースだった田中将大投手のおかげと言っても過言ではないでしょうね!
ライバルとの差は開き、輝かしい実績を残した斎藤佑樹投手が何故プロ野球で結果を残せなかったか?
理由は大きく三つあると考えています。
一つ目の理由は、先述した早大時代に崩したフォームの影響です。
斎藤佑樹投手のような右投手は投球の際に軸足となる右足からマウンドに向けて大きく重心を移動し、体重移動と共に投球に大きな力を与えるのが基本です。
斎藤佑樹投手の場合、投球の際に右膝を屈めるように始動に入り、大きく前方向に左足を踏み込み、ボールに力を与えています。
高校時代や早大1年生の時に活躍していた頃はそれが出来ていたのですが、怪我の影響なのかフォームを崩してしまい、スムーズな体重移動が出来なくなってしまいました。
要は下半身主導の投球が出来なくなってしまい、上半身主導の立ち投げのような投球になってしまったのです。
これでは力のある投球は出来ませんし、肩や肘に負担がかかってしまい、更なる怪我にも繋がってしまいます。
それでも斎藤佑樹投手の持っている技術は相当なものですから、大学生レベルの打者や、プロでまだ慣れられていない打者なら抑えることができたのです。
ところが、上半身主導の投球を続けているうちに右肩を故障してしまい、そんな投球スタイルすら出来なくなってしまいました。これでは並み居るプロの強打者を抑えることなど出来ません。
斎藤佑樹投手は現在まで、大学時代やプロ入り当初のフォームを目指して試行錯誤しているそうですが、右肩の怪我を抱えたまま、長年染みついた上半身主導のフォームを矯正するのは至難だと言わざるを得ません。
何とか斎藤佑樹投手が理想と考えるフォームを取り戻してほしいところですね。
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