栗山英樹が結婚せず独身の理由は福島弓子!?現役時代と自宅は?

栗山英樹監督は1961年4月26日生まれの62歳(2023/09/24時点)で、東京都小平市出身。

創価高校から東京学芸大学、入団テストを経て1983年にドラフト外でヤクルトスワローズに入団し、1990年のシーズンを最後に現役引退。

 

2012年から北海道日本ハムファイターズの監督に就任し、2021年シーズン限りでの退任が決定となり、10年に渡る長期政権にピリオドを打つ。

2021年12月に野球日本代表監督に就任し、2023年のWBC優勝に導く。

 

タマ
この記事では、栗山英樹監督が未だに結婚していない理由のこと。そして現役時代について。さらに、自宅が豪華と話題のことも書いていきますので最後まで読んでほしいニャー!

栗山英樹が未だに結婚せず独身なのはイチローの嫁・福島弓子が関係していた!?

栗山英樹監督は、選手一人一人に対して愛情をできる限り注いでいることで有名な監督ですね。

選手たちを呼ぶ時は、苗字ではなく下の名前で呼びコミュニケーションをとるなど、接し方が非常にフランクで素晴らしいと思います。

 

タマ
遥輝(西川遥輝選手)、翔(中田翔選手)、佑樹(斎藤佑樹投手)など、下の名前を呼ぶことで選手達との距離感を縮めているニャン!愛情が伝わるコミュニケーション方法だと思うニャー!

 

 

特に自身の在任期間に活躍した大谷翔平選手(現エンゼルス)への入れ込みようは凄く、栗山英樹語録が出来るほどです。

「(大谷翔平は)かわいい、食べちゃいたい」と、栗山語録として残っているそうですが、それだけ愛情が深いということでしょう!

 

 

現在、メジャーリーガーとして活躍している大谷翔平選手を今もなお心配しているということで、栗山英樹監督の親心が半端なく伝わってきますね!

 

そんな栗山英樹監督ですが、現在(いま)も結婚しておらず独身ということから、一部では同性愛者なんじゃないのかとも噂されているそうです。

同性愛者だとしても特に問題ないのでしょうけど、栗山英樹監督からすれば「ほっといてくれっ」といった感情だと思いますね。

 

しかし、過去には結婚まで考えた女性との噂がもちろんあった栗山英樹監督。

 

現役を退いて野球解説者をしていた1994年頃、当時TBSアナウンサーをしていた福島弓子さんと婚約し、両親への報告まで済ませたとの噂があります。

福島弓子さんといえば、イチローさん(現マリナーズ会長付特別補佐兼インストラクター)の嫁で有名な女性ですね。

 

結婚まで考えた福島弓子さんと(結婚)直前に、栗山英樹監督の方から一方的に破談を申し入れた経緯があったとか。

この背景には、栗山英樹監督が伊達公子さん(クルム伊達)と浮気していたとか、両親に結婚を反対されたという説があったみたいです。

もし、伊達公子さんとの浮気が事実だとすれば、栗山英樹監督に対してかなりのバッシングが飛んできそうですね。

 

その後、栗山英樹監督と結婚寸前までいったと噂された福島弓子さんはイチローさんと結婚し、伊達公子さんはミハエル・クルムさんと結婚し、幸せな過程を築いています。

 

タマ
真実は不明な部分が多いけど、イチローさんと福島弓子さんがとても素敵な夫婦だということは事実だから結果オーライだニャー!栗山英樹監督も独身で寂しいとか言ってる暇がないほど忙しい身だから多分問題ないニャン!

 

栗山英樹監督も、未だに結婚せず独身でも、毎日が充実感に溢れているでしょうから幸せだと思います。

監督業をすごく熱心にやられているので!

 

今後も、栗山英樹監督の結婚に関する情報が入り次第追記していきたいと思います。

栗山英樹の現役時代が知りたい!

現在まで、北海道日本ハムファイターズの監督として素晴らしい実績を築いている栗山英樹監督ですが、現役時代どんな選手だったのか気になるファンも少なくないはずです。

この機会に、栗山英樹監督の現役時代を調査していきましょう!

 

東京都の創価高校を卒業後、東京学芸大学に入学した栗山英樹監督は、東京学芸大学で投手・野手の『二刀流』として活躍していたとか!

 

タマ

大谷翔平選手の『二刀流挑戦』に一番賛同した理由がわかる過去だニャー!だからこそ、大谷翔平選手からも「(栗山英樹監督は)一チームの監督以上の存在」と言われたのだと思うニャン!

 

しかし、大学在学中に故障によって野手に専念することになり『二刀流』を断念します。

当時の栗山英樹監督は、非常に悔しかったと思いますね。

 

入学時は教員を目指していたとのことですが、プロ野球への夢を諦めきれずにプロテストを受験。

1983年にドラフト外でヤクルトにテスト入団を果たした栗山英樹監督。

 

タマ

現在(いま)では珍しい国立大学出身のプロ野球選手だったニャー!

 

プロ入りしてからは、当時チームの大黒柱であった若松勉さんに勧められて両打に転向すると、これが功を奏して1986年には外野手としての出場機会が激増し、チームの勝利に貢献するなど活躍をしていくことに!

 

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