板東湧梧の彼女は坪平芽衣、結婚は?母が美人!?甲子園は?

板東湧梧(ばんどう ゆうご)投手は1995年12月27日生まれの28歳(2024/04/19時点)・身長182cm・体重81kgで、徳島県鳴門市出身。

徳島県立鳴門高校から社会人野球チーム・JR東日本を経て、2018年にドラフト4位で福岡ソフトバンクホークスに入団し、背番号は『50』です。

 

この記事では、板東湧梧投手の彼女が坪平芽衣で、結婚しているのか。そして、母が美人なこと、さらに甲子園での活躍についても書いていきますので、最後までお付き合い下さい。

板東湧梧と坪平芽衣の関係が気になる!

人気俳優にも引けをとらないイケメン過ぎる板東湧梧投手ですが、彼女・結婚の現状が気になるファンは多いのではないでしょうか。

このイケメンでプロ野球選手ですので、結婚はまだでも彼女は高確率でいそうですけどね!

 

板東湧梧投手の彼女を検索すると『坪平芽衣』とワードが出てきました。

板東湧梧投手と坪平芽衣さんは、同じ徳島県の鳴門高校出身で、画像見てわかりますが、まさに〝美男美女カップル〟ではないでしょうか。

板東湧梧投手の坊主頭が新鮮ですが、彼女の坪平芽衣さんも雑誌のモデルみたいで、可愛さがバシバシ伝わってきますね!

 

現在、板東湧梧投手と坪平芽衣さんが交際しているかは不明ですが、まだ彼女として関係があるならば、坪平芽衣さんとの結婚も考えられるでしょう。

 

とはいえ、板東湧梧投手の結婚情報は一切ありませんでしたので、今後も注目していき情報が入り次第、追記していきたいと思います。

板東湧梧の母が美人過ぎる件!

イケメン過ぎる板東湧梧投手ですが、ネット上で母が美人と話題になっていることを知りました。

確かに板東湧梧投手の母の画像を確認すると、美人ですし笑顔がとても素敵ですね!

 

母が美人あるある〟で、授業参観の時に友達から騒がれたり、美人な母を持つ友達の家によく遊びに行ったりとかありますよね。

美人な母の息子からしてみれば「勘弁してくれよ」と言いたいでしょうけども。

板東勇吾投手と母の仲も良さそうですし、真相は不明ですが反抗期とは無縁のイメージもあります。

板東湧梧投手の両親の育て方が、きっと素晴らしかったのでしょうね!

 

ということで、板東湧梧投手の母が美人なことと、素晴らしい親子関係だということが分かりました。

今後、板東湧梧投手の母に関する新情報が入り次第、追記していきたいと思います。

エースとして甲子園に導いた板東湧梧!

小学2年生の時に野球を始めた板東湧梧投手は、中学まで注目されるほどの選手ではなかったそうです。

投手ではなく野手を主に守っていたみたいですね。

 

中学卒業後は、強豪校の『鳴門工業高校』からお誘いがあったみたいですが、迷わず県立の『鳴門高校』に進学します。

 

理由は〝地元の仲間と甲子園に出場する〟といった、固い結束があったからだと考えられますね。

間違いなく板東湧梧投手にとって、一生涯の仲間でしょう!

 

しかし、鳴門高校も甲子園に何度も出場するほどの強豪校として有名。

 

板東湧梧投手が入学した年も、上級生にレベルが高い投手や選手がゴロゴロいたので、2年の春までは野手(セカンド)として甲子園に出場していました。

それでも、ベンチ入りしているから十分凄いと思いますが、板東湧梧投手は〝エースピッチャー〟として甲子園に出場したかったでしょうから不本意だったのかもしれませんね。

 

そして、念願の背番号1(エースナンバー)を付けることになり、ようやく自分がやりたかった投手を全うすることに!

 

まさに〝水を得た魚〟のように、3年生では春夏共に甲子園出場に導く板東湧梧投手。

もちろん私達が知らないとこでは、並々ならぬ努力があったでしょうから、本当に凄い投手というか素晴らしい人物だと思います。

 

ということで、板東湧梧投手は投手のポジションを諦めず、チームをエースとして甲子園に導いたことが分かりました。

最後に

〝甘いマスク〟で人気の板東湧梧投手ですが、まだ1軍での登板はありません。

 

しかし、伸びのある直球と四隅に投げ分けるコントロールは、高校時代から定評があった板東湧梧投手。

鷹のエース・千賀滉大投手も「球が速いし、制球力もいい。あれだけの球を投げられるのだから技術は高いと思うので、いつかピッチングの話もしてみたい」と絶賛するほど、板東湧梧投手のポテンシャルは高いと言えるでしょうね!

 

 

軸もしっかりしていて、コントロールも球筋もピカイチですね。

今後、板東湧梧投手の1軍での活躍に注目していきましょう!

 

最後まで読んで頂きありがとうございました。

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