水谷瞬(みずたに しゅん)選手は2001年3月9日生まれの22歳(2023/09/24時点)で、愛知県津島市出身。
石見智翠館高校から2018年にドラフト5位で福岡ソフトバンクホークスに入団し、背番号は『59』です。
この記事では、水谷瞬選手の中学・高校時代について。そして、ハーフと話題のこと、さらに彼女&結婚情報や愛用しているグローブについても書いていきますので、最後までお付き合いください。
甘えていたと語る、水谷瞬の中学時代!
水谷瞬選手は小学4年生の時に、地元の野球チーム『神島田クラブ』で野球を始め、中学時代は硬式野球チームの『津島ボーイズ』でプレーしていたそうです。
小学生の頃から体格が大きかったみたいで、情報はありませんでしたが、もしかすると野球を始める前に他のスポーツをしていたのかもしれませんね。
小・中学時代に在籍していたチームは、2チーム共に練習の厳しいチームだったそうですが、中学時代まで水谷瞬選手は、自分自身を限界まで追い込んだ経験がなかったとか。
水谷瞬選手は「練習量も多く、厳しいチームで野球をやっていたんですが、全体練習の後の自主練習で更に自分を追い込んだり…といったことはあまりできていませんでした。厳しいこと、苦しいことからついつい逃げてしまう、そんな〝甘え〟が捨てきれない自分がイヤだったんです」とコメントしていました。
水谷瞬選手は〝甘え〟があったかもしれませんが、中学時代の時にはすでに自分を客観視して見られていたのですから、大人より大人というか、大した中学生だと思います!
そんな中学時代までの〝甘え〟を捨て去るために、水谷瞬選手は高校進学を機に地元を離れる決意をするわけですが、詳しくは後ほど書いていきます。
中学時代の水谷瞬選手は、まだ野球に本気で取り組めていない時代だったのでしょう。
厳しい環境に挑戦した、水谷瞬の高校時代!
中学時代に本気で野球に取り組めなかった水谷瞬選手は、島根県江津市の『石見智翠館高校』に進学しました。
この高校に進学を決めたキッカケが、水谷瞬選手が中学3年生の時に見学をした際に、当時、中軸を打っていた村上航希さんの打撃練習だそうです。
水谷瞬選手は「当時中軸を打っていた村上 航希さんが打撃練習で凄まじい打球を打っていたんです。ライナーが失速せず、そのままセンターの奥深くまで飛んでいく。『あんな弾道で、打球って飛ぶんだ』と思ってしまうような打球でした。そして、僕が見学させていただいた後に、チームは甲子園出場(2015年夏)。『ああいうチームが甲子園に行くんだな、すごい』と思いました」と振り返っており、強豪チームの雰囲気に心を打たれたのでしょうね!
この高校で自分を追い込み、必ず甲子園に行くと決意を固め、厳しい環境で挑戦する道を選んだ水谷瞬選手。
自分の〝甘え〟を克服する為の選択とはいえ、ここまで自分に厳しくできる人が一体どれだけいるのでしょうか。
きっと、水谷瞬選手を慕う後輩達が多かったはずです。
水谷瞬選手は高校に入学後、慣れない集団生活や故障で大変な時期がありながらも、なんとか乗り越えていき、全力で練習を取り組むことの大切さを学んでいったそうです。
人が本当の意味で学ぶ時は、真剣に全力で何かに取り組むことが条件の一つだったりしますからね。
~石見智翠館~
水谷 瞬今年の島根NO.1呼び声高い智翠館打線の主砲。
長打力が魅力の打者。
春季中国大会でもその打力を存分に発揮した。
投打に力がある智翠館高校。
その中心に立つ彼が甲子園へのカギとなる。 pic.twitter.com/jannp2UWuc— 全国高校野球 (@18yakyuu) July 6, 2018
チームの主力として欠かせない存在に成長した水谷瞬選手は、全国にもその名が轟くほどに!
やはり努力や練習、さらには挑戦していく行動力は、人を大きく飛躍させるのでしょうね。
水谷瞬選手の高校時代は、厳しい環境に身を置いて、全力で野球に取り組んでいたことがわかりました。
水谷瞬はハーフと話題!
水谷瞬選手とハーフと話題ですので、ハーフなのか調査してみました。
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