川端慎吾選手は1987年10月16日生まれの37歳(2024/12/03時点)で、大阪府貝塚市出身。
和歌山市立和歌山商業高校から2005年に高校生ドラフト3位で東京ヤクルトスワローズに入団し、背番号は『5』です。
川端慎吾の結婚した美人すぎる嫁と子供が気になる!
ヤクルト・川端慎吾選手が結婚した嫁は、3つ年上のタレント・水野今日香さんという方です。
とても美しい女性ですね!
2014年オフに結婚を発表した川端慎吾選手と嫁との出会いは、2010年頃に共通の知人の紹介で知り合ったそうです。
芸能関係の知人が沢山いるのでしょうね。
意気投合し交際に発展した二人は、2012年オフから同棲生活をスタート。
嫁・水野さんの30歳の誕生日前日にあたる、2014年6月22日に婚姻届けを提出したとか!
お似合いカップル感がビシビシ伝わりますね。
嫁の水野さんは『アスリートフードマイスター』という資格を取得し、怪我の多かった川端慎吾選手を食生活面で献身的にサポートしました。
美人で食事管理もしてくれるなんて、非の打ち所のない素晴らしい嫁だと思います。
嫁との子供ですが、2015年3月に第一子となる長男が誕生した同じ年に、リーグ優勝という栄冠も手に入れた川端慎吾選手。
まさに幸せ絶頂期と言えるのではないでしょうか!
そんな愛する子供さんとの心温まるエピソードがあります。
チームが交流戦最高勝率に輝いた2018年、札幌遠征から東京の自宅に帰ってきた川端慎吾選手宛てに、子供からの手作りの金メダルと似顔絵、さらにグラスが贈られたそうです。
涙が溢れるほど嬉しかったでしょうね!
愛する嫁や子供のために、まだまだ現役を長く続けてほしいですね。
今後も、川端慎吾選手の嫁や子供に関する情報が入り次第追記していきたいと思います。
川端慎吾の引退した妹が可愛いと話題!
川端慎吾選手には2つ年下の友紀さんという妹さんがいます。
イケメン・川端慎吾選手の妹だけあって、美人で有名ですね!
友紀さんは川端慎吾選手と同じ市立和歌山商業高校でソフトボールの選手として活躍していました。
高校卒業後は塩野義製薬に入社し、ソフトボール部で投手として活躍します。
その後、2009年に創立された日本女子プロ野球機構の一期生として合同トライアウトを受験し、同年12月のドラフト会議で京都アストドリームスから内野手部門で1巡目指名を受け入団。
日本初の兄妹でのプロ野球選手誕生となりましたが、妹の友紀さん可愛いだけなく、野球が上手すぎるとこが凄いというか尊敬に値しますね!
妹の友紀さんは、女子日本代表の4番打者としても大いに活躍していました。
背番号は、妹の友紀さんの憧れでもある青木宣親選手に因んだ『23』でした。
青木宣親選手を目の前にしただけで号泣するほどですから、もしかすると兄・川端慎吾選手よりも尊敬しているのかもしれませんね。
そんな妹・友紀さんは、1年目から遊撃手のレギュラーに定着すると、いきなり首位打者を獲得します。
2013年にはイースト・アストライア(現埼玉アストライア)に移籍し、打率.431を記録して年間MVPを獲得するなど、兄の川端慎吾選手と同じように天才打者として活躍し、創設されたばかり女子野球界を牽引します。
2018年に一旦引退を表明しますが、2019年3月にエイジェックの女子硬式野球部に選手兼任ヘッドコーチとして現役復帰を果たします。
この背景には、まだ女子野球の発展に貢献したいという強い思いがあったそうです。
友紀さんが背負った背番号『23』はアストライアの永久欠番に制定されるなど、女子野球界のレジェンドともいえる友紀さんですが、兄の川端慎吾選手と共に天才打者として活躍するなど、スワローズのファン感謝祭で共演したり、テレビ番組に兄妹で共演したこともあります。
美男美女の天才兄妹という話題性もあり、その可愛い容姿がメディアに取り上げられたことも多かったですね。
兄妹の絆はとても固く深いと思います!
現在、妹・友紀さんは現役を引退されましたが、今後も動向と活躍に注目していき、情報が入り次第追記していきたいと思います。
川端慎吾の現在が知りたい!
川端慎吾選手の現在を書く前に、少しだけ川端慎吾選手が歩んできた軌跡を紹介したいと思います。
川端慎吾選手は1年目の2006年から二軍で79試合出場し、一軍で初安打初打点を記録するなど『天才打者』と呼ばれるほど期待されていました。
『天才打者』とは言われていましたが、血の滲むような努力があってこそ至った実力だと思います。
その後怪我などで一軍定着を果たせない時期が続くものの、2010年には入団時から二軍で指導を受けていた小川淳司監督代行(後に一軍監督)の下、一軍で遊撃手のレギュラーを掴んだ川端慎吾選手。
天才的なバットコントロールで安打を量産し続けると、宮本慎也さんの引退した三塁手のポジションを埋めるため、遊撃手から三塁手にコンバートされます。
2015年には新しく一軍監督に就任した真中満さんの方針で『攻撃的2番打者』の象徴として主に2番・三塁手で全試合に出場。
リーグ優勝の栄冠と共に首位打者・最多安打のタイトルを獲得し、同年オフには1億6,000万円の4年契約を結び、選手会長にも就任し、名実ともにヤクルトの顔に成長します。
しかし『天才打者』と持て囃される一方で、2014年と2015年を除くほとんどの年で怪我で長期離脱しており、川端慎吾選手は現在も『ガラスのプリンス』とも呼ばれることに。
特に中堅からベテランの域に差し掛かる30歳のシーズンを迎える2017年に、椎間板ヘルニアを発症してしまい、同年手術を受けます。
手術の影響か、持ち味のバットコントロールが鳴りを潜め、4年契約が満了した2019年オフには減額制限を大きく超える4,000万円の年俸で契約を更新した川端慎吾選手。
迎えた2020年には1月に腰の手術を決断し、苦しいリハビリが続いています。
川端慎吾選手が守備につく一塁・三塁のポジションには2019年新人王の村上宗隆選手や、現在(いま)では若手有望株の西浦直亨選手、廣岡大志選手、吉田大成選手らが激しくレギュラーの座を争っています。
次々に出てくる若い才能に、『天才打者』と言われてきた川端慎吾選手も気持ちの余裕なんてないでしょう。
まだまだ老け込むような年齢ではない川端慎吾選手ですので、かつての天才打者が持ち味のバットセンスで球場を沸かせる姿をまた魅せてほしいですね!
ということで、現在の川端慎吾選手は、完全復活を目指して奮闘中だということがわかりました。
最後に
プロ野球選手が望む栄光をすべて手に入れた2015年シーズン以降、怪我で苦しむ姿が目立っている川端慎吾選手。
そんな川端慎吾選手の登場曲は、FUNKY MONKEY BABYSの『悲しみなんて笑い飛ばせ』です。
この曲は、川端慎吾選手専用のチャンステーマとしても奏でられており、「強靭な向かい風は 背中で受け止めて 追い風にすればいいさ」というフレーズは、我々ファンだけではなく、川端慎吾選手自身を鼓舞しているようにも聞こえます。
怪我やレギュラー争いという強靭な向かい風を追い風にするような輝きをまた、神宮球場で見れる日が来ることを祈っています。
そして、川端慎吾選手の活躍で東京ヤクルトスワローズのリーグ優勝、さらには日本一と導いていってもらいましょう!
今後も、川端慎吾選手の活躍と動向に注目し、情報が入り次第追記していきたいと思います。
最後まで読んで頂きありがとうございました。
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