秋山翔吾選手は1988年4月16日生まれの35歳(2023/05/29時点)で、神奈川県横須賀市出身。
横浜創学高校から八戸大学を経て、2010年にドラフト3位で埼玉西武ライオンズに入団し、2020年から『シンシナシティ・レッズ』に在籍。
2022年からは広島東洋カープに所属しています。
秋山翔吾が愛する嫁と子供が気になる!
秋山翔吾選手は2013年のオフシーズンの時に、鈴木彩香さんという名の女性と結婚していることがわかりました。
秋山翔吾選手が結婚した嫁の画像を発見しましたが、超絶美人で羨ましいですね。
結婚した嫁とは幼馴染で、高校時代から約7年の交際を経て結婚に至ったニャー!
ドラマの世界のような純愛ラブストーリーで憧れます!
秋山翔吾選手と嫁の子供ですが、息子が2人いるそうですね。
長男が2014年生まれ、次男が2016年生まれみたいで、秋山翔吾選手と同じ野球選手を目指す育て方をするのかと思ったのですが、実際は『子供が好きなことをやってほしい』といった想いが強いようです。
親から強要されるとストレスの原因になったりしますし、子供が自発的に始めたほうが続きますからね。
秋山翔吾選手は、結婚した嫁に対して「自分の意見をハッキリと言う、意志の強い女性です」と話しており、さらに「家庭的で気配りもでき、愚痴もこぼせる嫁は僕の心の支えになっている」と続け、嫁への感謝が非常に大きいことがわかりました。
きっと、自身の国内FA権や海外FA権(メジャー挑戦)の時も、何でも話せる嫁に相談したことでしょうね!
ちなみに秋山翔吾選手の性格は『真面目で良い人』だそうで、見たまんまの感じもしますが、意見をハッキリと言う嫁とは凄く相性が良いのかもしれませんね!
秋山翔吾選手は一プロ野球選手であるとともに、父であり夫であることも踏まえて、自分の進むべき道を常に模索しているのだと思います。
一番大事なのは、間違いなく嫁と子供ですからね!
ということで、秋山翔吾選手にとって嫁と子供の存在が凄く大きなことがわかりました。
今後も、秋山翔吾選手の嫁と子供の情報が入り次第、この記事に追記していきたいと思います。
ストイック過ぎた秋山翔吾の高校時代!
秋山翔吾選手が野球を始めたのは2歳の頃だそうで、卒園文集には「やきゅうせんしゅになりたいです。いちろうみたいにひっとうちたいです」と可愛らしく将来の夢を宣言していました。
小学生になる前から明確な目標(プロ野球選手を目指す)を決めきるとは恐れ入りますね。
小学1年生でソフトボールを始めるとともに、コンマ1秒でも早く一塁へ到達するため、厳しかった父のアドバイスで中学の陸上部で中学生と一緒に陸上の練習をするなど厳しく、そしてストイックな小学生時代を過ごし、中学時代も野球(横浜金沢シニア)と陸上部の二足の草鞋(わらじ)で、プロ野球選手を目指すため技術と脚力を磨いてきた秋山翔吾選手。
ここまでストイックにやりきる小・中学生は中々いないと思います。
そんな、ストイック過ぎる秋山翔吾選手が選択した高校が『横浜創学館高等学校』です。
2019年現在で甲子園出場経験はないものの、毎年県内では強豪校と注目される高校ですね。
高校1年生からレギュラーを獲得した秋山翔吾選手ですが、決して慢心せず、朝練が始まる前に一人で早朝練習をし、全体練習が終わった後も一人残って自主練に励むなど、高校時代の秋山翔吾選手もストイックな選手だったとのこと。
目標は『プロ野球選手になること』ですから、小・中・高校と一切ブレることなく貫いてきた秋山翔吾選手は本当に凄い野球選手だと思いますね!
残念ながら甲子園出場はできなかったものの、それでもドラフト候補に秋山翔吾選手の名が挙がるほど、プロのスカウト陣から注目されていたみたいなんです。
『一人だけ別格な選手がいる』と、プロの目から観るとすぐに気付くのでしょう。
結果的に(高校時代での)ドラフト指名はなかった(怪我の影響が大きかったから)のですが、注目されていたことは事実でしたし、何よりも高校時代の秋山翔吾選手のストイック過ぎる姿勢は、現在(いま)に繋がっていることが十分にわかりました!
〝プロになります〟と宣言した秋山翔吾の大学時代!
高校時代、惜しくもドラフト会議で指名漏れの結果となってしまった秋山翔吾選手ですが、高校時代の監督の紹介で『八戸学院大学』への進学を決意することに。(半分くらいは進学した大学からのスカウトがあったみたいです)
大学の4年間で実力をつけるといった意味では、非常に大学進学はプラス要素が大きかったでしょうね!
当時の八戸学院大学の藤木監督(現・明秀学園日立高校の打撃コーチ)は、元・教え子である秋山翔吾選手を「すごい努力をする選手でしたね。本当に見たことがないくらい。多少のケガなら『痛い』なんて言うこともなかったですし、黙々と練習をしていました。それに身長が180cm以上ありましたし、ユニフォーム姿が映えて見えました。顔は『ウナギイヌ』みたいでしたけれどもね(笑)」と、かなり評価も高く、大学時代もストイックだったことがわかりました。
顔が『ウナギイヌ』の部分は置いといて、怪我がなければ十分に高校卒業時点でプロの世界に行けたのかもしれませんね!
それでも、大学時代の秋山翔吾選手は幾度となくスランプに陥っており、監督の打撃指導と持ち前のストイックな努力で、何度も何度も殻をブチ破って試行錯誤してきたそうなんです。
おそらく『プロに行きたい』といった強い気持ちが、大学時代の秋山翔吾選手を焦らせていたのかもしれませんね。
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