秋吉亮が結婚した嫁と子供の存在!トレードの真相と高校・大学・パナソニック時代が知りたい!なすびとの関連性は?

秋吉亮投手は1989年3月21日生まれの35歳(2024/11/21時点)で、東京都足立区出身。

 

東京都立新田高校から中央学院大学、社会人野球の企業チーム・パナソニックを経て、2013年にドラフト3位で東京ヤクルトスワローズに入団し、2018年オフに交換トレードで北海道日本ハムファイターズに移籍。

2022年1月に福井ネクストファンツに入団したが、同年7月に福岡ソフトバンクに入団。2022年に戦力外通告を受け退団後、独立リーグの選手兼任コーチに就任することが決まった。背番号はまだ未定。

 

タマ

この記事では、秋吉亮投手が結婚した嫁と子供の存在のこと。そして、トレードの真相と高校・大学・パナソニック時代について。さらに、なすびとの関連性のことも書いていきますので最後まで読んでほしいニャー!

秋吉亮が結婚した嫁と子供の存在!

秋吉亮投手が現在(いま)の嫁と結婚式を挙げたのは、東京ヤクルトスワローズがリーグ優勝した2015年だそうです。

とても良いタイミングでの結婚式だと思います。

 

タマ
当時在籍していたヤクルトがリーグ優勝したことにより、祝福が凄かったと思うニャー!

 

結婚した嫁とは中学時代からの知り合いのようで、4歳年上の一般人女性で『優』さんという名前の嫁です。

4歳年上だと中学が同じでも知り合うのは不可能だと思うのですが、学校外で知り合ったということでしょうね。

 

そんな嫁との子供ですが、2人の子供(男の子)を授かったようで、2014年と2017年にそれぞれ子供が誕生しています。

 

 

パパのような元気でタフな子供に育ってほしいですね!

今後も、秋吉亮投手の嫁と子供に関する情報が入り次第追記していきたいと思います。

秋吉亮がトレード移籍した真相!

秋吉亮投手の長所は、なんといってもタフさです。

ヤクルト時代のルーキーイヤー、2014年にいきなり61試合に登板(うち2試合に先発)すると、2年目の2015年にはリーグトップの74試合に(当時史上14位)登板し、長年ヤクルトの弱点と言われた投手陣を大きく支え、リーグ優勝の原動力となります。

 

 

タマ
秋吉亮投手抜きでヤクルトのリーグ優勝は有り得なかったニャー!

 

しかし、抑え投手として活躍していた2017年シーズン途中の6月30日、甲子園での阪神戦で突然右肩の痛みを訴え、右肩甲下筋の肉離れと診断。
長期離脱を余儀なくされ、2018年のシーズン終了まで本来の力を発揮できませんでした。

 

タマ
怪我が完治していないのにもかかわらず、無理してマウンドに立ったことがいけなかったニャー!

 

そんな秋吉亮投手は、2018年のシーズンオフに交換トレードで日本ハムへの移籍が発表されました。

おそらく契約更改の席でトレードについて通達があったと思うのですが、この時の秋吉亮投手の言葉を失ったような表情が今でもハッキリと覚えていますね。

 

交換トレードとなった選手は、ヤクルトからは秋吉亮投手と中堅ユーティリティプレイヤーの谷内亮太選手、日本ハムからは元新人王で先発ローテーションの一員であった高梨裕稔投手と若手プロスペクトの太田賢吾選手が移籍しました。

 

 

とても力強く感じた素晴らしい会見だったと思います。

しかし、このトレードについてはファンやメディアの間でも賛否両論あったのも事実です。

 

おそらく、東京ヤクルトスワローズのファンが「なぜリリーフエースの秋吉亮投手を放出するのか」といった内容だと思いますね。

それだけ東京ヤクルトスワローズはリリーフ陣に限らず投手陣の層が薄く、先発投手が早くに降板し、リリーフエースの秋吉亮投手ひとりに頼らざる得なかった現状が続き、本人(秋吉亮投手)の投げたがりの性格も重なって、故障という最悪の形となってしまったんですね。

 

 

日本ハムに移籍した2019年はシーズン序盤からクローザーに定着し、53試合に登板して7ホールド25セーブという成績を残し、同年オフには3年ぶりの1億円プレイヤーに返り咲きました。

 

タマ
怪我が完治したことが復活した大きな要因の一つだニャン!やはり負荷のかけ過ぎは絶対タブーだニャー!

 

クローザーというポジションは、試合の真ん中で投げるセットアッパーよりも登板数の観点では負担が少ないポジションとは言われていますが、日本ハムの投手コーチが僅差の試合でも秋吉亮投手に連投制限をかけるなど、故障明けの秋吉亮投手にしっかりとした配慮があったことが好成績に繋がったのでしょう。

 

ヤクルトとしてはただでさえ希少なリリーフ投手を失うかたちとなりましたが、秋吉亮投手からすると、交換トレード移籍は素晴らしい転機だったと言えるでしょうね!

秋吉亮の高校・大学・パナソニック時代が知りたい!

秋吉亮投手は、東京都出身のプロ野球選手には珍しい都立高校出身の選手です。

強豪の私立高校ではなく、都立高校に進学した理由として「早くから試合に出場することを優先した」と語っています。

 

タマ
強豪校で投げる機会が少ないより、そこそこの高校でエースとして投げた方が間違いなく経験の差が生まれるニャー!

 

ちなみに、都立高校出身の選手は他にソフトバンクの石川柊太投手(都立総合工科高校→創価大学)やロッテの佐々木千隼投手(都立日野高校→桜美林大学)らがいます。

強豪校出身でなくとも、現在(いま)はプロ野球選手として活躍している選手が沢山いるのも事実ですね!

 

秋吉亮投手が都立足立新田高校1年生のころ、監督からの勧めでサイドスローに転向しますが、この頃はアンダースロー気味の高さから投げていたそうです。

 

高校時代は1年生の秋から登板機会を得ると、2年生の秋には早稲田実業高校の斎藤佑樹投手と素晴らしい投げ合いを経験しています。

これが自信になったという秋吉亮投手は高校3年生の夏、東東京大会でチーム最高のベスト4へと導き『都立の星』として名を馳せましたね!

 

高校卒業後は、千葉県大学リーグの中央学院大学に進学します。

この時に、高校時代にアンダースロー気味だったリリースポイントを少し高くして、現在のサイドスローを大学時代に確立させることに成功します。

確かに、大学時代と現在(いま)の投球フォームはほぼ似ている気がしますね。

 

中央学院大学で通算14勝を挙げた秋吉亮投手はその後、社会人野球の強豪パナソニックに進み、入社2年目からエースとして活躍することに!

 

 

パナソニック時代の活躍が評価され、日本代表にも選出された秋吉亮投手。

 

タマ
日本代表で3勝を挙げる大活躍をしたニャー!

 

ということで、高校・大学・パナソニック時代の秋吉亮投手は、現在の土台となる投球フォームで輝かしい功績と活躍をしていたことがわかりました。

アマチュア時代、指導者からフォームを矯正されなかったそうですから凄いですね!

秋吉亮となすびの関連性が気になる!

『でんでん太鼓投法』と呼ばれる独特なピッチングスタイルで活躍している秋吉亮投手ですが、面長の顔に顎髭を蓄えたルックスも特徴の一つですね!

良い意味で忘れることのない顔というか、個性があってとても素晴らしいと思います。

 

そんな面長の顔が特徴の秋吉亮投手を、ファンの間では『なすび』の愛称で親しまれていることがわかりました。

ファンから愛称で呼ばれている選手は、凄く愛されている証拠でしょうね!

本人もこのことを知ってか知らずか、2018年のヤクルト公式グッズが、そのまんま『なすび』でイラストされていた秋吉亮投手。

完全にネタにされている気もしますが。

 

日本ハムに移籍した際も、メディアに向けて「ヤクルト時代は後輩からなすびとイジられていたので、日本ハムではあまりイジらないでほしい・・・」と発言しています。

この発言が本心なのか、イジってほしいフリなのかは不明ですが、臨機応変に対応しましょう!

 

ということで、秋吉亮投手はファンの間で『なすび』の愛称で呼ばれていたことがわかりました。

今後も、秋吉亮投手と『なすび』に関する情報が入り次第追記していきたいと思います。

最後に

日本ハムに交換トレードで移籍してからは、チームの守護神として大活躍している秋吉亮投手。

 

タマ
パリーグの打者相手にも臆することなく大車輪の活躍をしているニャー!

 

 

特に、宮西尚生投手との左右の変則リリーフの組み合わせは、相手にとって脅威だったに違いですし、これからも脅威は続いていきますからね!

もはや脅威というか恐怖です。

 

故障歴が多いので、くれぐれも自身のコンディションには気を付けながら、長く活躍するところを見せてほしいですね!

今後も、秋吉亮投手の活躍と動向に注目していき、情報が入り次第追記していきたいと思います。

 

最後まで読んで頂きありがとうございました。

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