金本知憲(かねもと ともあき)さんは1968年4月3日生まれの56歳(2024/11/21時点)で、広島県広島市南区出身。
身長180cm・体重88kg
広陵高校から東北福祉大学を経て、1991年にドラフト4位で広島東洋カープに入団し、2003年からはFA権を行使して阪神タイガースに移籍。
2012年に現役引退後、2016年から3シーズンに渡って阪神タイガースの監督を務める。
現在は、野球解説や野球評論家として活躍している。
この記事では、金本知憲さんの現在と在韓(在日韓国人)の真相について。そして、嫁と子供のこと。さらに、広陵高校時代の監督とのエピソードについても書いていきますので最後まで読んで欲しいニャー!
金本知憲の現在が気になる!
プロ野球生活21年で通算打率.285、2539安打、476本塁打、1521打点を記録した金本知憲さんですが、これだけの成績を残したわけですから、2018年に野球殿堂入りを果たしました。
プロ野球界にとって、大変大きな功績を残されましたね!
1999年から2010年にかけて達成した1492連続試合フルイニング出場、そして13686連続イニング出場はともに世界記録だニャー!さらに、日本記録の1002打席連続無併殺打は本当に圧巻だニャン!
金本知憲さんのホームランシーンは何度見てもかっこいいワン!阪神タイガース歴代最高の4番打者と称され、仲間からは「アニキ」と慕われていたんだけど、金本知憲さんは4人兄弟の末っ子だから、本人は皮肉に感じていたこともあったそうだワン!!
そんな金本知憲さんは阪神タイガースの監督を2018年シーズンを最後に辞任したのちに、現在はフリーの解説者として活躍しています。
読売テレビ・毎日放送(MBS)・ABCテレビでゲスト解説者として出演したり、現在は評論家としても活動されていますね!
大の仲良しである後輩の新井貴浩さんと解説する試合を期待したいですね!
今後も、金本知憲さんの活躍に注目していきましょう。
金本知憲の在韓の真相!
優れた選球眼と無類の勝負強さが魅力だった金本知憲さんですが、その証拠に連続4番先発出場数(880試合)の日本記録保持者でもあります。
また、本塁打・代打本塁打・猛打賞・盗塁においてはセ・リーグ最年長記録を保持していますね!
現役時代の金本知憲さんのスイングは鋭すぎるニャー!本人曰く、素振りに勝る打撃の練習方法はないと語っているニャン!
鉄人と呼ばれた金本知憲さんは、きっと誰よりも素振りをしたり努力を積み重ねてきたワン!必ず努力が報われるとは思わないけど、努力しない限りは大成しないワン!
そんな金本知憲さんの両親は韓国人で、金本知憲さんは韓国系日本人3世にあたるそうです。
少年時代は博成(ひろなり/バクソン)という名前で、その後知憲に改名していますね。
4人兄弟の末っ子ということもあり、当時は相当可愛がられていたでしょう!
ということで、金本知憲さんは在韓(在日韓国人)ということがわかりました。
金本知憲の嫁と子供の存在が知りたい!
さて、在韓(在日韓国人)とわかった金本知憲さんですが、ここからはプライベート面にも踏み込んでいきましょう!
野球人としてのキャリアは申し分ありませんが、私生活の部分は謎に包まれている印象が強いですね。
金本知憲さんは2001年7月に、一般OLだった前原裕美さんと結婚したニャー!しかし、公私混同を嫌がる金本知憲さんは家庭内の情報あまり出さなかったニャン!
ナイーブというか、家族を守ることが1番の理由だと思うワン!結婚した嫁さんがどんな女性が気になるけど、守るためだとするなら尚更納得だワン!
嫁さんとの子供ですが、一人娘の智萌美さんが存在しています。
金本知憲さんの引退セレモニーの時も駆けつけていましたね!
子供との絆を非常に感じちゃいます。
ところが、2009年に嫁の裕美さんと別居したことが報道され、正式に離婚したと話されていないものの、おそらく現在も別居状態、もしくはすでに離婚したのではないかと思われます。
別居、もしくは離婚の理由としては「金銭問題」が言われていて、競艇の場外発券建設の話を持ち掛けられて投資詐欺にあったそうだニャー!2004年〜2009年の約5年間で8億円もの大金を騙し取られたそうだニャン!
マジで最低なことに、騙し取った人物は金本知憲さんの友人だそうだワン!金本知憲さんの人の良さに漬け込んだ悪質な詐欺だワン!
また、金本知憲さんは商品投資もやっていたそうで、2008年のリーマンショックで3億円の損失も出しており、その他にも色々投資でお金を溶かしていたとか。
超一流のプロ野球選手でしたから稼ぎが多かっただけに、投資詐欺や投資損失額がデタラメに大きいですね。
娘さんとは現在も関わりはあるでしょうけど、今後も金本知憲さんの元嫁?さんと子供に関する情報が入り次第追記していきたいと思います。
金本知憲が高校時代の広陵監督とのエピソードが驚愕!
小学4年生の時にリトルリーグの「広島中央リトル」で野球を始めたものの、体育の授業で手を骨折して練習が出来なくなったり、そもそも練習についていけないことを理由に1年で辞めてしまいます。
その後は、町内会のソフトボールや広島市立大州中学校の軟式野球部でプレーしたそうですが、意外や意外、金本知憲さんの野球スタート時は思いっきり挫折の経験をしていたんですね。
普通は一度挫折した野球を再びプレーしようとは思わないところを、金本知憲少年はソフトボールや中学の軟式野球部で携わったのが驚きだニャー!野球というスポーツが徐々に好きになったんだと思うニャン!
この少年時代の挫折経験があったからこそ、プロ野球時代に「鉄人」と称されるほどの記録、連続試合フルイニング出場・1492試合を達成したのかもしれないワン!
中学卒業後、広島県の強豪校・広陵高校に進学すると、高校2年からレギュラーになります。
甲子園出場経験はありませんが、高校通算20本のホームランは素晴らしいですね!
強豪校でのレギュラー獲得と一発を放てる打撃センス、この頃すでに大器の片鱗を覗かせていたのでしょう。
高校卒業後は大学進学を考えており、広陵高校野球部引退後、金本知憲さんは法政大学野球部のセレクションを受ける準備をしていたそうです。
しかし、ここで驚愕の事態が発生することに!
当時の広陵高校の監督が、本当は8月に法政大学のセレクションが行われるのに、12月だと金本知憲さんに間違った情報を伝えたニャー!監督の言葉を信じた金本知憲さんは、当然セレクションを受けることなく浪人し、1年間の浪人生活を過ごした後、次は中央大学野球部のセレクションを受けることに決めたそうだニャン!
しかし、中央大学野球部監督からは「浪人は推薦がない(要するに金本知憲さんは入部できないという解釈)」と聞かされていたものの、広陵高校の監督が「推薦は大丈夫だから」と金本知憲さんに伝えたワン!当然ながら中央大学にも行けず、2度も監督から騙されてしまったわけだワン!
当時の広陵高校の監督が謎すぎますね。
これが全て事実ならば、指導者としてもっとしっかりして欲しいと思っちゃいますよ。
結局、東北福祉大学に進学して現在に至るわけですが、金本知憲さんの広陵高校時代に、人生を大きく左右するこんな驚愕のエピソードがあったんですね。
やはり、先生や監督の言葉も大事ではありますが、自分で考えて調べることも非常に大事だと改めて思いました。
最後に
今回は金本知憲さんの偉大さが改めてわかったニャー!またプロ野球界に是が非でもカムバックして欲しいニャン!
次は広島東洋カープ、もしくは広陵高校の監督になって欲しいワン!そして、新井貴浩さんとの絡みも沢山見たいワン!
今後も、金本知憲さんの活躍と動向に注目し、情報が入り次第追記していきたいと思います。
最後まで読んで頂きありがとうございました。