松井秀喜のホームラン記録&大谷翔平を比較!伝説の敬遠と名言に注目!

松井秀喜さんは1974年6月12日生まれの50歳(2024/11/21時点)で、石川県能美市出身の元プロ野球選手。

 

星稜高校から1992年にドラフト1位で読売ジャイアンツ(巨人)に入団し、その後MLB(メジャーリーグベースボール)のニューヨーク・ヤンキース、ロサンゼルス・エンゼルス、オークランド・アスレチックス、タンパベイ・レイズ、そしてニューヨーク・ヤンキースで活躍したのち現役引退。

現在は、ニューヨーク・ヤンキースGM特別アドバイザーとして活躍。

 

タマ
この記事では、現役時代の松井秀喜さんのホームラン記録&大谷翔平選手との比較について。そして、伝説の敬遠のこと。さらに、数々の名言についても書いていきますので最後まで読んで欲しいニャー!

松井秀喜が日本とメジャーで放ったホームラン記録が凄い!

現役時代は、長距離砲として巨人でもアメリカでも活躍した松井秀喜さん。

特に、ワールドシリーズでMVPを獲得した際には、日本中が沸きましたよね。

そのくらいすごい選手で、まさにスーパースターでした。

 

そんな松井秀喜さんといえば、やはり現役時代のホームランがなんといってもすごかったですよね。

 

では、どれくらいすごかったのかについてですが、結論から言うと、日米通算507本ものホームランを打っています。

巨人時代は、日本野球界を代表する長距離打者で、10年間で332本塁打を放ちました。

そのうち、ホームラン王を3回獲得しています。

 

高校卒業から10シーズンでの本塁打数は、王貞治さんの356本に次ぐ歴代2位で、300本以上打った打者は王と松井の2人だけみたいです。

3割を超える打率を維持しながら、本塁打・打点で常にリーグトップクラスの成績を残し、OPSでも、通算4000打数以上の選手では王貞治さんに次いで歴代2位となる通算.996という、驚異的な成績を残しました。

毎年シーズンの本塁打数は30本以上を放ち、50本を打った年もあるほどです。

凄すぎますよね。

 

また、ヤンキースに移籍しても持ち味である長打力を活かして活躍できました。

 

しかし、日本にいた時と比較すると、本塁打数も落ちてしまい、自らを「中距離打者」という風に言っていました。

それでも、アメリカでは175本の本塁打を放ち、メジャーリーグの選手相手にも負けないパワーを見せつけていました。

通算500本塁打を放った松井選手のパワーは凄まじいですね。

 

ゴジラと言われただけある破壊力とパワーですので、対戦した投手からしたら本当に恐ろしく感じたことでしょう。

このホームラン数から、いかに松井秀喜さんの凄さがわかりますね。

松井秀喜と大谷翔平を比較してみた!

豪快なホームランを見せつけ、世界でも活躍した松井秀喜さんは、日本人メジャーリーガーとして本塁打の通算記録は歴代トップとなっています。

しかし、シーズン本塁打記録は2位なのです。

 

「え?松井秀喜よりも打っている人いんの?」

こう思った方もいるのではないでしょうか?

 

結論から言うと、いるんです。

と言うより、みなさんご存知で今最も注目されている野球選手でメジャーリーガー・大谷翔平選手です。

松井秀喜さんのシーズン本塁打記録が塗り替えられてから、何かと比較されていますね。

 

松井秀喜さんは、ワールドシリーズMVPなど輝かしい成績を残した一方、バッターとしては、日本時代の輝きを失っていたとも囁かれていました。

その原因とも言われるのが、メジャーリーグ特有の〝動くストレート〟で、松井秀喜さんはこの球に苦戦を強いられ、パワーヒッターから中距離ヒッターへとスタイルを変えざるを得なかったといいます。

 

対して、大谷翔平選手は、エンゼルスに移籍した当初は、この〝動くストレート〟に苦戦。したものの、中距離ヒッターにスタイルチェンジした松井秀喜さんとは違い、大谷はパワーヒッターのまま環境に適応しました。

松井秀喜さんでも敵わなかったメジャーのピッチャーと力勝負できているのは、まさに〝怪物〟といえますね。

 

ただ、松井秀喜さんはヤンキースという名門のチームに所属しており、デレク・ジーターさんなどのスター選手ばかりがいた環境の中で野球をしていました。

その中でレギュラーとして試合に出続けるプレッシャーは相当なものなので、それを踏まえると松井秀喜さんもゴジラ級に凄すぎたと感じます。

ですので、どちらも怪物級なことに変わりはないでしょう!

松井秀喜の甲子園で味わった伝説の敬遠を振り返ってみた!

松井秀喜さんといえば、ホームランも印象深いですが、なんと言っても高校時代の5打席連続敬遠ですよね。

この敬遠は、社会問題ともなったかなり大きい出来事でした。

 

この時の対戦相手は明徳義塾でしたが、明徳義塾の馬淵史郎監督は、「(松井の)スイングの速さ、体の強さはこれからも出てこないんじゃないか。オーラがあった。七回2死走者なしからの敬遠は、何点も負けていたらあんなことをやらない。普通にやったら勝てる、とおそらく思っていた星稜に、ちょっといつもと違うぞという感覚を持たせる上で、あの敬遠は大きかった。(山下)監督にも後の打者にも、チーム全体にプレッシャーがかかる。松井君に恨みがあったわけでは何もないし、山下監督に恨みがあったわけではない」と当時のことを振り返っていました。

 

それほどすごかった松井秀喜さんですが、5打席連続敬遠された時は、アルプススタンドからメガホンが飛んできたりヤジが飛び交うなど、高校野球の試合ではあり得ないくらいの雰囲気となっていました。

 

また、明徳義塾がその試合に勝ったのですが、選手や監督が止まっていた宿舎に苦情の連絡や爆破予告がされるなどの事態にもなり、日本中で大騒ぎとなりました。

このことは、今でも語られるほどであり、野球ファンの記憶から消えることはないでしょう。

心を打つ松井秀喜の名言集に注目!

高校時代からすごかった松井秀喜さんは、巨人やメジャーでも活躍し、引退してから国民栄誉賞を受賞するまでになりました。

そんな松井秀喜さんは、多くの人に向けて数々の名言を残しています。

 

ここでは、特に心に響く名言を記載いたします。

 

・僕は変化というのは自分からは求めていません。求めていかなくても変わるところは変わっていくでしょうし。こっちのやり方がダメならあっちの方という考えはないんです。

・ 野球というスポーツは、3割を打てば一流選手になります。つまり、一流選手でも、残りの7割は凡打しているわけです。僕は、この7割の失敗をずっと生かそうとしてきました。

・神様は楽をしている人、楽をしていい結果を残そうとしている人、投げやりになっている人には、最終的には微笑まないと思います。

・苦しみや辛さこそが生きている証ではないでしょうか。今、自分がすべきことは何なのかを正確に受け入れ、それを補う努力をしていくしかないと思っています。

・どんな道でも進んでいけば嫌なことはいっぱいあります。それでも逃げないことだと思います。

・困難に直面したとき「今、自分にできることは何か」と自問します。悔やみ、落ち込むしかないのでしょうか。多くの場合、そんなことはありません。きっと前に進める選択肢があるはずです。

 

 

どれも素晴らしい言葉ですよね。

この言葉を言えるくらい、相当な努力をしてきたのだと思います。

最後に

現役時代は、数々の実績を残して国民的スターとなった松井秀喜さん。

現在は、ヤンキースのアドバイザーを勤めていますが、いずれ巨人の監督やコーチになってくれないかと願う人も多いです。

 

これからも野球界発展のため活躍して欲しいですね。

 

 

タマ
大きな夢と感動を与えてくれた松井秀喜さんには心から尊敬しているニャー!願わくば、巨人のユニフォームに袖を通し、監督として指揮をとる姿が見てみたいニャン!
イッヌ
松井秀喜さんならばきっと、最高で最強のチームつくりができるはずだワン!
今後も、松井秀喜さんの活躍と動向に注目し、情報が入り次第追記していきたいと思います。
最後までご覧いただきありがとうございました。
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