仁志敏久さんは1971年10月4日生まれの50歳(2024/11/21時点)で、茨城県古河市出身。
常総学院高校から早稲田大学、日本生命を経て1995年にドラフト2位(逆指名)で読売ジャイアンツ(巨人)に入団し、2007年から横浜ベイスターズ(現横浜DeNAベイスターズ)に移籍。
2009年に退団後、2010年にメジャーリーグ挑戦のため独立リーグ・アトランティックリーグに加盟するランカスター・バーンストマーズに入団するも、右太もも痛の悪化によりシーズン途中で現役引退を表明し、現在は横浜DeNAベイスターズの2軍監督を務める。
仁志敏久と原辰徳の不仲説の真相は?
長嶋茂雄さんが読売ジャイアンツの監督時代、不動の1番打者だったのが仁志敏久さんですね!
プロ野球選手の中では小柄ながらも俊足で、ホームランも放てるパンチ力で巨人の最強リードオフマンとして活躍していました。
【プロ野球】驚愕のポジショニング!攻守で常勝巨人軍を支えた男の物語 Ⅱ仁志敏久 https://t.co/1Fi7K1tUDI @YouTubeより
同級生は松井高橋由伸わ好きな人が多かったけど俺はダントツで仁志が好きだった。
— Kato (@skywalker_46) April 26, 2021
原辰徳さんと仁志敏久さんが不仲説と噂される理由
- 原辰徳さんが現役時代付けていた背番号8を、現役引退後に入れ替わりで入団した仁志敏久さんがすぐ継承したから
- 自分の考え(思ったこと)をすぐ口にする仁志敏久さんの性格と原辰徳さんが合わないから
- 巨人軍監督を原辰徳さんが引き受けた際(2回目の要請の時)、仁志敏久さんを横浜ベイスターズへトレードで出したから
以上3点が理由で不仲説が噂されているのですね。
しかし、1つ目の理由は背番号の継承は、永久欠番を除いてどの球団もいつの時代も行われることなので、不仲説に繋がるとは思えません。
原辰徳監督と仁志敏久の不仲説の真相は?https://t.co/5piemjtrnn
— ヨシラバー (@yoshilover6760) April 16, 2020
ということで、仁志敏久さんと原辰徳さんの不仲説を探ってみましたが、おそらく二人は不仲ではないと思いました。
お互い真剣に取り組んだ結果、我々野球ファンからすると「不仲なんじゃないの!?」と勘違いしてしまう報道や事態もありましたが、二人は至って普通で良い大人の関係ではないかと思いますね。
今後も、仁志敏久さんと原辰徳さんに関する情報が入り次第追記していきたいと思います。
仁志敏久の筋肉がヤバすぎた!?
先ほどもお伝えした通り、現役時代は小柄ながらも長打を放てるのが仁志敏久さんの強みの一つでもありました。
1番打者ながらも、28本のホームランを打ったシーズンがありましたからね!
仁志敏久の早稲田大学時代
早慶戦でサヨナラ満塁ホームラン!#仁志 #巨人 #ジャイアンツ pic.twitter.com/d2DsMcWNpf— わせ速 [早稲田速報] (@wase_soku) February 12, 2016
鋭いスイングですし、早稲田大学や日本生命時代など、アマチュア時代は主に主軸(3番・4番)を打っていたそうです。
小柄ながらも一発を放つパンチ力を可能にしていたのは、仁志敏久さんの筋肉に秘密があったとか!
めちゃくちゃ良い筋肉してますね!
この肉体があったからこそ、長打を放つバッティングが可能だったのでしょう。
さすがに現役ほどではないにしても現在(いま)も仁志敏久さんの筋肉はヤバい感じがしますけどね!
腕がゴツすぎます笑
未だに多少なりとも筋トレをしているのではないでしょうか!
私も仁志敏久さんのような筋肉を手に入れる為、ジムに行って鍛えたいと思います。
仁志敏久の嫁・静子さんと子供の存在は?
プロ14年で積み上げた安打数は1591本と実績を残し、尚且つ筋肉が凄いイケメン選手だった仁志敏久さん。
そんな現役時代の仁志敏久さんがモテないわけがありませんよね!(現在もカッコいいし!)
【仁志敏久さん】
仁志さんがディスプレイをジャビットくんを持つシーン✨
おおーってなって、
笑顔にほっこりしました。娘がホームランで貰う人形をたのしみにしてたトークにて。#ワースポ pic.twitter.com/mB1m5BxpZA
— 一生@☆萩子さんファン☆ (@shukos_fan) August 27, 2019
仁志敏久さんと嫁・静子さんの間には子供が一人存在しており、子供は娘の愛梨さんというそうです。
娘・愛梨さんの生まれは1999年あたりみたいなので、現在は成人してるのではないでしょうか。
ということで、仁志敏久さんの家族に関する情報は全然ありませんでしたが、引き続き嫁・静子さんと娘・愛梨さんに関する情報が入り次第追記していきたいと思います。
仁志敏久の横浜時代と現在にも迫る!
巨人での出場機会が減少したために自らトレード移籍を志願し、2007年に横浜ベイスターズ(現横浜DeNAベイスターズ)に入団。
移籍1年目は主に1番打者として活躍!
最後に
番長こと三浦大輔(現横浜DeNAベイスターズ1軍監督)さんとタッグを組み、横浜DeNAベイスターズを強くする為日々選手育成に奮闘している仁志敏久さん。
時には選手たちに厳しい声かけもすると話しますが、仁志敏久さん曰く「(厳しい言葉を放つ側より)言われた側の方がよく覚えているんじゃないですか」と、受け取る側(選手)がそれによって努力するか行動するかでこの先が変わるし、何よりも指導者として選手に成長して欲しいと願ってのことだと思います。
今季から横浜DeNAの2軍監督に就任した仁志敏久さんのインタビューです⚾️
第一クールを総括してもらいました👊ロングバージョンはこちら👇
【プロ野球プレミアム】https://t.co/MckbpPUlqk pic.twitter.com/jINnzNxxAr— イレブンスポーツ (@ElevenSportsJP) February 5, 2021