孫正義さんは1957年8月11日生まれの65歳(2023/05/31時点)で、佐賀県鳥栖市出身。
ソフトバンクグループの創業者であり福岡ソフトバンクホークスの取締役オーナーも務め、総資産は219億ドル(日本円で約2兆3500億円)です。
この記事では、孫正義さんの激動的な生い立ちのこと。そして、子供と弟のことや複数所有している自宅についても書いていきますので、最後までお付き合い下さい。
孫正義の生い立ちが激動的すぎる!
今や日本を代表する大企業の『ソフトバンクグループ』の創業者で、日本一の資産家・孫正義。
ソフトバンクと言えば、携帯電話(スマートフォン)などを取り扱っていますよね。
そんな一代で『ソフトバンクグループ』を大企業に成長させた孫正義さんですが、その生い立ちは決して楽なわけでなく、激動的でとても大変な生い立ちだったと孫正義さんは話しています。
孫正義さんは、在日韓国人で実業家の家庭で育ち、4人兄弟の次男だそうで、通名(外国籍の者が日本国内で使用する通称名のこと)は『安本正義』です。
在日韓国人と聞くと、2001年公開の映画で、窪塚洋介さんと柴咲コウさん出演している『GO』を思い出しますね。
とても面白く、内容も深い映画なので興味がある方は是非鑑賞して観て下さい。
孫正義さんが生まれた当時の家計は、極貧で常にギリギリの生活を送っていたそうです。
豚や羊と共に生活する不衛生な環境で育った経験をもつ孫正義さんですが、父が営んでいた消費者金融業(金貸し)とパチンコ業などが大成功し、一転裕福な生活ができた時期もあったと言います。
孫正義さんの経営能力の高さは父譲りだったのでしょう。
しかし、在日韓国人というだけで、現在では考えられないほどの〝差別〟と受けてきた孫正義さんは「自殺をしようかと思うくらい悩んだ。差別はつらい」と話していました。
世の中には理不尽な差別がたくさんありますし、同じ人間なのに差別している側は非常に醜いと思いますね。
孫正義さんの生い立ちを語る上で、特にターニングポイントとなったのが、高校時代に『日本マクドナルド』と『日本トイザらス』の創業者・藤田田(ふじたでん)さんに直接会いにいったことでしょう。
その理由は、藤田田さんの手がけた著書『ユダヤの商法』を読んで大きく感動した為、孫正義さんは〝この人に会いに行こう〟と決断したとか。
もちろん、ただの高校生だった孫正義さんに、大企業の社長である藤田田さんが相手をしてくれるはずもなく面会は許されなかったのですが、何回も諦めずに面会に来る孫正義さんに根負けした形で、藤田田さんとの直接面会を実現してしまったのです。
高校生でなくても一度面会を断られたら諦めるところを、孫正義さんは何度も会いに行くわけですから、とにかくパワーと行動力が桁外れに凄すぎますよね!
ようやく会うこと叶った孫正義さんは、藤田田さんに「アメリカにこれから留学しようと考えているのですが、アメリカで何を学んでくればいいでしょうか」と質問したそうです。
その質問に対し、藤田田さんは「コンピューターを学んできなさい。これからはコンピューターの時代が必ず来るから」と答えたそうで、飲食業界とおもちゃ業界とはあまり関係がない、コンピューターという言葉が出てきたことに驚いたのと、1974年という時代だったので、藤田田さんはすでに先の未来が見えていたのかもしれませんね。
孫正義さんはもちろん、藤田田さんもとてつもなく凄い方ですね!
このアドバイスを受けた孫正義さんは、アメリカで高校卒業検定試験に合格し、その後1980年にカリフォルニア大学バークレー校を卒業することに。
孫正義さんは、アメリカで高校と大学を卒業していたんですね。
そして学生の傍ら、藤田田さんのアドバイスの通りアメリカでコンピューター関連の事業を自ら起こしていきます。
まず、自分で考案した『音声機能付き他言語翻訳機』を開発し、大手企業の『シャープ』に1億円で売ります。
その元手で、ソフトウェア会社『ユニソンワールド』を設立し、会社名に自分の名前を入れることで、過去に差別を受けていた悲しき因縁と訣別するといった想いも含まれていたのではないかと思いますね。
『ユニソンワールド』では、日本からインベーダーゲームを大量に安く輸入し、アメリカでは珍しい商品として爆発的な人気として売れまくったとか。
これを大学在学中に経営者として、しかもアメリカで成功させているのですから、孫正義さんはとんでもない人物ですし、そんな大学生は後にも先にも私は知りません!
ここまででも、すでに孫正義さんの生い立ちが偉人すぎて凄いのですが、大学卒業後についに孫正義さんは『日本ソフトバンク(のちのソフトバンク)』を設立することに!
ソフトバンクは携帯電話の印象が強いですが、元々はPC(パソコン)のソフトウェアの卸売業だったそうです。
現在ではあまり珍しくありませんが、当時はそのサービスをする企業がなかったため、いち早く設立した孫正義さんは先見の明が優れていることがわかりますね。
そこからは、数々の合併や共同出資、不可能を可能にする挑戦とパワーで、瞬く間に『ソフトバンクグループ』は大企業へと成長していくことになります。
もはや前進することしかしていないことがわかりますね。
そして、2004年に福岡ダイエーホークスからダイエーを買収し、〝福岡ソフトバンクホークスのオーナー〟に就任した孫正義さん。
当時、何も知らなかった私は勝手に、ホークスがダイエーからソフトバンクになるのは寂しいなーなんて思っていましたが、今では心の底からソフトバンクホークスで良かったと思うし、施設や球団運営を考えると、おそらく12球団で1番余裕がある球団だと思いますね。
まだまだ、孫正義さんの生い立ちについては沢山ありますが、とにかく現在の福岡ソフトバンクホークスがあるのは、孫正義さんのおかげだといっても過言ではないでしょうね。
今後も、孫正義さんの生い立ちについては、ちょいちょい更新していきたいと思います。
孫正義の子供が優秀すぎる!
大学在学中に現在の嫁である優美さんと〝学生結婚〟をした孫正義さん。
ビジネスでもそうですが、結婚の決断も早いですよね!
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