高橋朋己投手は1988年11月16日生まれの36歳(2024/12/14時点)で、静岡県三島市出身。
加藤学園高校から岐阜聖徳学園大學、社会人野球の企業チーム・西濃運輸を経て2012年にドラフト4位で埼玉西武ライオンズに入団し、2020年シーズン限りで現役引退。
現在は球団に残り、アカデミーのコーチとして野球少年たちの指導にあたりながら、野球解説者としても並行して活動。
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この記事では、高橋朋己投手が現在、戦力外の危機と噂されている件。そして、最愛の嫁と子供の存在のこと。さらに、高校・大学・西濃運輸時代についても書いていきますので、最後までお付き合い下さいニャン!
高橋朋己の戦力外の危機と話題になっていた真相!
高橋朋己投手は、2014年のシーズン途中からクローザー(抑え投手)に抜擢され、見事に期待に応える活躍をみせると、翌年も開幕からクローザーとして試合をきっちりと締めてきた実績を持っています。
〝開幕から4戦連続でセーブを挙げた日本記録保持者〟で、2014年には日本代表にも選ばれた実力ある投手ですね!
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2016年からは怪我で登板数が激変したものの、2014年と2015年で挙げた51セーブという記録はマジで凄いニャン!
そんな高橋朋己投手ですが、2016年に左肘の張りによる怪我で1軍登録抹消を余儀無くされると、その後〝左肘内側側副靭帯の再建手術(トミー・ジョン手術)〟を受けることに。
メジャーリーガーでエンゼルスの大谷翔平選手も、トミー・ジョン手術を受けていましたね。
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重要なイニングを任されていた高橋朋己投手の肘は負担がかなり蓄積されていたと思うニャン。肘の怪我は投手にとっては〝天敵〟だニャー!
手術後、1軍での登板を果たすものの、なかなか本来のパフォーマンスを発揮できず、2017年と18年の登板数は激変してしまいます。
結果が全てのプロ野球界ですから、高橋朋己投手は2018年に戦力外通告を受けてしまったんです。
しかし戦力外を受けたとはいえ、球団は高橋朋己投手を育成選手として再契約をし、高橋朋己投手が完全復活するまで〝信じて再起を待つ〟といった選択しました。
この選択には、球団側の高橋朋己投手に対する期待の表れが伝わりますね。
それでも、育成選手として挑んだ2019年のシーズンは、ファームでの公式戦登板がなかったので〝今回は本当に戦力外通告を受けるかもしれない〟といった噂が流れていたといいます。
そう考えると、プロ野球の世界では1年1年を本気で臨まなければ結果を残せず、戦力外通告という名のリストラを受ける可能性が高まるわけで、非常に大変ではありますが結果さえ残し続ければ、絶対必要とされる存在になれるのだと感じましたね。
結果的に、高橋朋己投手は戦力外とはならず、引き続き育成選手として2軍で結果を残し、支配下登録選手を勝ち取る意気込みで再起を誓っていました。
西武高橋朋1000万円減で育成再契約 背番号「43」取り戻す
西武の元守護神で左肩を故障して今季育成選手となっていた高橋朋己投手が10日、1000万円減の年俸1000万円で来季の育成契約を結んだ。左肩の回復は順調とし「来年のキャンプからアピールして、支配下に戻れるようにしたい」と決意を示した。(金額は推定)
高橋朋己投手も「球団には感謝しかない。早く背番号を戻したい 」とコメントし、かつての背番号『43』を取り戻すために自身を奮い立たせていました。
大変な現状を何とか打破して、また背番号『43』のクローザー復活を期待しましょう!
ということで、現在の高橋朋己投手は戦力外を受け支配下登録選手ではないものの、育成選手としてライオンズに所属していることがわかりました。
今後も、高橋朋己投手の動向に関する情報が入り次第追記していきたいと思います。
高橋朋己の最愛の嫁と子供が気になる!
高橋朋己投手には、 約2年間の交際を経て結婚した最愛の嫁の存在がいます。
嫁の名前は田中美沙紀さんといい、3歳年下の女性です。
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東京ー名古屋の遠距離恋愛を実らせての結婚だそうだニャン!末永くお幸せになってほしいニャー!
高橋朋己投手は「これから先、プロ野球選手としての世界が終わっても嫁と子どもには幸せになってもらいたい。絶対に苦労させたくない。穏やかな家庭を築いていきたい 」と、決意の籠ったコメントをしていました。
夫として200点満点のコメントだと思いますね!
嫁との子供ですが、2018年1月に第2子となる長男が生まれたそうで、娘と息子の2人の子供に恵まれた高橋朋己投手。
長男には野球をさせるのか不明ですが、もし野球をするならば、今後が非常に楽しみな話題となりそうです。
嫁と2人の子供のためにも、まだまだ現役プロ野球選手として踏ん張ってほしいと思います。
今後も、嫁と子供の情報が入り次第追記していきたいと思います。
高橋朋己の高校・大学・西濃運輸時代を調査してみた!
高橋朋己投手は小学2年生の時『中郷ファイターズ』で野球を始め、中学時代は『三島田方リトルシニア』で投手としてプレーしていたそうです。
小学生の時は野手としてプレーし、投手は中学に入ってからみたいですね。
中学卒業後は、通常入学で『加藤学園高校』に進学し、中学時代に引き続き、高校でも投手としてプレーをしていた高橋朋己投手。
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『加藤学園高校』は、スポーツ・勉強共に力を入れている〝文武両道〟の高校だニャン!
高校2年でエースナンバー・背番号『1』を背負いますが、高校3年では怪我での影響によりエースにはなれず、野手とリリーフ投手としてチームに貢献していたそうです。
リリーフ投手も重要な役割ですので凄いことですが、改めて感じたことは、投手にとって怪我はやはり天敵ですね。
高校時代の球速は130㎞にも満たない直球でしたが、大学進学に向けて練習していた際に、当時の監督から腹筋と背筋を鍛えるために命じられた薪割によって筋力がアップしたみたいです。
一度薪割りを経験したことがありますが、次の日から一週間は全身が筋肉痛になり大変な思いをしたので、薪割りを続けた高校時代の高橋朋己投手は、努力が持続できて向上心が高かったことがわかりますね。
高校卒業後は『岐阜聖徳学園大学』に進学し、大学1年生から春季リーグ戦に登板し、高校時代に鍛えた筋トレが功を奏し素晴らしい成績を残していきました。
大学3年の春には〝最優秀投手を獲得〟し、大学時代の高橋朋己投手は学生時代の中で一番輝いていたかもしれませんね。
大学卒業後は、社会人野球の『西濃運輸』に在籍し、この西濃運輸時代で〝中継ぎ投手としての才能が開花〟した高橋朋己投手。
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西濃運輸時代の高橋朋己投手は、威力抜群のストレートを投げ込み、気迫を前面に出していたニャー!
高橋朋己投手が在籍していた西濃運輸というチームは、結果にこだわる厳しいチームとして有名で、選手の入れ替えが激しいチームだそうです。
そんな西濃運輸でしっかりと結果を残したことが評価され、プロ野球の世界へと羽ばたけたのだと思いますね。
社会人野球からプロ野球界に挑戦する選手に求められることは〝即戦力〟です。
西濃運輸に在籍していた時点で、高橋朋己投手はプロ野球レベルの実力を備えていたのでしょうけど、厳しい西濃運輸で勝ち残れたという経験が、より一層高橋朋己投手の選手としての価値を引き上げたに違いありませんね!
ということで、高橋朋己投手の高校・大学・西濃運輸時代を調査してみましたが、高橋朋己投手は〝雑草魂〟の印象を強く感じました。
〝必ずプロ野球選手になる〟という目標の為にコツコツと諦めず、壁にぶち当たっても着実に前へ進んでいくといったイメージでしたね。
球速とスタミナをつけたいなら〝薪割り〟がオススメです!
最後に
現在は育成選手の高橋朋己投手ですが、渡辺久信球団本部ゼネラルマネージャーは「(背番号『43』を)早くつけてほしいよ。いつまでも空いているんだから」と、支配下登録時代につけていた背番号『43』を高橋朋己投手の為に空けている状態 だそうです。
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現在(いま)の背番号は『123』だから、一刻も早く『43』への返り咲きを期待したいニャー!
高橋朋己投手は「43番を『絶対にお前につけてもらいたい』と言われて嬉しかった 」と球団に感謝した高橋朋は「年齢的にも番号的にも、早いうちにアピールしないといけない。背番号を早く戻したい 」と意気込みを語っており、西濃運輸時代で結果を残し、2014・15年と2年連続で60試合登板を果たした高橋朋己投手ならば、必ず背番号『43』への返り咲きをファン、そして家族に見せてくれると信じています!
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この時と同等かそれ以上のピッチングを期待して、1軍のマウンドに帰ってくるのを心待ちにしましょう!
今後も、高橋朋己投手の活躍と動向に注目していきながら、情報が入り次第追記していきたいと思います。
最後まで読んで頂きありがとうございました。
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