矢野燿大が愛する嫁と娘がファザコンと噂!自宅が豪邸と話題!偉業を成し得た中日時代も調査!

矢野燿大(あきひろ)さんは1968年12月6日生まれの55歳(2024/11/21時点)で、大阪府大阪市東住吉区(現・平野区)出身。

大阪市立桜宮高校から東北福祉大学を経て、1990年にドラフト2位で中日ドラゴンズに入団し、2010年に現役引退すると、2019年から阪神タイガースの監督に就任。

 

タマ
この記事では、矢野燿大さんが愛する嫁と娘のこと。そして、豪邸すぎる話題の自宅、さらに、偉業を成し得た中日ドラゴンズの時代も書いていきますので最後まで読んでほしいニャン!

矢野燿大が愛する嫁と娘がファザコンか気になる!

2019年から阪神タイガースの監督を務め、監督1年目からチームをCS(クライマックス)ファイナルステージまで導いた矢野燿大監督。

『ブチ破れ!オレがやる』というスローガンでチームを鼓舞していましたね!

 

そんな矢野燿大監督は、1995年に結婚していたことがわかりました。

 

タマ
嫁の名前は『矢野裕子』さんというニャン!嫁とは交際7ヶ月でのスピード結婚だニャー!

 

矢野燿大監督が現役時代、『中日ドラゴンズ』に在籍していた頃に結婚したそうで、女性に奥手の矢野燿大監督が猛アピールをしまくったとか。
それだけ魅力的な女性だということでしょうし、現在も嫁の裕子さんを超絶愛しているという矢野燿大監督は、当時猛アタックしていて本当に良かったですね!

 

愛する嫁との子供ですが、2000年と2003年に長女と次女が誕生しており、今では娘二人とも大人の女性に成長しています。
娘二人ともファザコンだと話題に上がっていましたが、実際のところは大好きだけども、ファザコンとまではいかないのかなと思います。
以前「将来結婚させたくないし、ファザコンにさせたい」と、矢野燿大監督が話していたことがあり、おそらくこの発言で『娘ファザコン説』が話題となったのでしょう。

 

タマ
世の中の父親たちは娘から好かれたいのだニャン!ファザコンという言葉は父親にとって嬉しすぎるワードだニャー!

 

きっと、矢野燿大さんは素敵な父親だと思いますので、ファザコンに近い感覚で娘二人とも慕っていることでしょうね。
嫁と娘二人を一番大事に考えている矢野燿大監督は、とても『家族愛』に溢れた素晴らしい男性だと思います。

矢野燿大の自宅が豪邸すぎると話題!

ネット上で、矢野燿大監督の自宅が豪邸すぎると話題になっていました。

豪邸といわれる家に憧れを持っているので、わかる範囲で調査してみることに。

 

タマ
矢野燿大監督の現役時代に稼いだ年俸合計額は約17億円だニャー!それだけ稼いだ方の自宅は豪邸で間違いないニャン!

 

矢野燿大監督の自宅は、兵庫県の芦屋にあるそうです。

兵庫県の芦屋という土地は高級住宅街として有名で、東京でいうと六本木のような場所。

場所も凄いですが、そこに築いた自宅も他の住宅に優って豪邸な自宅だと思います。

 

矢野燿大監督は「家が大好きで早く帰りたい」と話されていたことがあり、あの発言の真意はおそらく家族も大好きだが、自宅も居心地最高で大好きといった意味なのでしょうね。

こんな豪邸クラスの自宅ならば、私も寄り道などせず真っ直ぐ自宅に帰ること間違いなしです。

 

ということで、矢野燿大監督の自宅が豪邸すぎることが判明しましたが、もしかしたら違う情報かもしれないので、その際は自宅の情報が入り次第追記していきたいと思います。

偉業を成し遂げた中日時代の矢野燿大が知りたい!

矢野燿大監督は阪神タイガースの印象が強いですが、プロ入り最初のチームは『中日ドラゴンズ』に入団していました。

1991年〜1997年の7年間、捕手や外野手として日々奮闘していた矢野燿大監督ですが、入団前の本心では巨人に在籍したかったそうなんです。

 

「何で中日やねん…」喜びより落胆が勝った

運命の瞬間は刻一刻と近づいていた。1990年11月24日、ドラフト会議。テレビでの生中継を、東北福祉大野球部の監督室で矢野は固唾(かたず)をのんで成り行きを見守っていた。

「中日、矢野輝弘(やの・てるひろ)、捕手、22歳、東北福祉大学」

1位に続き2位指名がスタートすると、司会進行役でパ・リーグ広報部長の伊東一雄が、矢野の名を読み上げた。まさかの読み間違えにも驚いたが、それ以上に驚いたのは中日が指名してきたことだった。

「えっ?」。矢野は事前に巨人と阪神が指名する可能性は知らされていたが、そこに中日の名は含まれていなかった。ましてや、2歳上の中村が不動のレギュラーとして君臨している。ドラフトでの指名が現実となりつつある中、矢野も自分なりにシミュレーションを行っていた。当然のように、各球団の捕手事情を調べていく。もっとも分の悪そうなのが、ほかならぬ中日だったのだ。

引用元:スポニチ

 

タマ
当時のプロ野球界では、テレビ放送の関係もあるけども『巨人(読売ジャイアンツ)』に入団することが夢でありステータスと語る高校球児などが非常に多かったニャー!

 

そんな裏事情があっても、プロ一年目から一軍で活躍していた矢野燿大監督。
プロ野球チームに指名されるだけでも本当に凄いことなのに、当時のルーキーと言われた選手たちは実力も根性も現在(いま)とは少し違ったのかもしれませんね。

 

しかし、二年目以降はプロの壁に阻まれて苦労した時期も長かったようで、後に入団してきた荒木雅博(現・中日ドラゴンズ一軍内野守備走塁コーチ)に背番号『2』を譲るなど、さらに悔しい経験もしました。
結果が全てのプロ野球界ですけど、実際に自分がそんな状況になってしまったら、自信を失ってしまいそうで恐ろしいと思います。

 

しかし、そんな苦しい時期を少しずつ乗り越えていた矢野燿大監督は、1996年に偉業を達成することになります。

 

 

巨人戦に先発した野口茂樹(現・会社員)さんとバッテリーを組んだ矢野燿大監督は、なんと『ノーヒット・ノーラン』の偉業を達成しました。

矢野燿大監督のリードで、しかも巨人戦というところが運命を感じちゃいますね!

 

女房役とはいえ、偉業を達成したその年の成績がプロ入りしてから一番良く、矢野燿大監督にとって『ノーヒット・ノーラン』が現役時代一つのターニングポイントとなったのではないでしょうか。

達成した瞬間は本当に嬉しかったと思いますね!

 

ということで、矢野燿大監督は中日ドラゴンズ時代に、苦労と栄光を経験していたことがわかりました。

捕手のリードあっての『ノーヒット・ノーラン』だと断言できますね!

最後に

家族を一番愛し、そして阪神タイガースの監督として日本一を目指している矢野燿大監督。

仕事とプライベートのオンとオフがハッキリとしている印象がありますね!

 

また、若手選手の育て方にも定評があり、その代表例として一人挙げるのであれば近本光司選手でしょう。

 

タマ
『チャレンジ精神』を凄く大事にされている方で、野球人としても人としても本当に素晴らしい人格者だニャー!

 

 

現役時代は『恐怖の下位打線の一人』として活躍していた矢野燿大監督も、現在(いま)はチームを指揮する立場。

監督として阪神タイガースのリーグ優勝、そして日本一に導けるよう頑張ってもらいたいですね!

 

今後も、矢野燿大監督の活躍と動向に注目し、情報が入り次第追記していきたいと思います。

 

最後まで読んで頂きありがとうございました。

関連記事

『いいね』をお願いします♪
テキストのコピーはできません。