矢野燿大(あきひろ)さんは1968年12月6日生まれの55歳(2024/11/21時点)で、大阪府大阪市東住吉区(現・平野区)出身。
大阪市立桜宮高校から東北福祉大学を経て、1990年にドラフト2位で中日ドラゴンズに入団し、2010年に現役引退すると、2019年から阪神タイガースの監督に就任。
矢野燿大が愛する嫁と娘がファザコンか気になる!
2019年から阪神タイガースの監督を務め、監督1年目からチームをCS(クライマックス)ファイナルステージまで導いた矢野燿大監督。
『ブチ破れ!オレがやる』というスローガンでチームを鼓舞していましたね!
そんな矢野燿大監督は、1995年に結婚していたことがわかりました。
矢野燿大の自宅が豪邸すぎると話題!
ネット上で、矢野燿大監督の自宅が豪邸すぎると話題になっていました。
豪邸といわれる家に憧れを持っているので、わかる範囲で調査してみることに。
矢野燿大監督の自宅は、兵庫県の芦屋にあるそうです。
兵庫県の芦屋という土地は高級住宅街として有名で、東京でいうと六本木のような場所。
場所も凄いですが、そこに築いた自宅も他の住宅に優って豪邸な自宅だと思います。
矢野燿大監督は「家が大好きで早く帰りたい」と話されていたことがあり、あの発言の真意はおそらく家族も大好きだが、自宅も居心地最高で大好きといった意味なのでしょうね。
こんな豪邸クラスの自宅ならば、私も寄り道などせず真っ直ぐ自宅に帰ること間違いなしです。
ということで、矢野燿大監督の自宅が豪邸すぎることが判明しましたが、もしかしたら違う情報かもしれないので、その際は自宅の情報が入り次第追記していきたいと思います。
偉業を成し遂げた中日時代の矢野燿大が知りたい!
矢野燿大監督は阪神タイガースの印象が強いですが、プロ入り最初のチームは『中日ドラゴンズ』に入団していました。
1991年〜1997年の7年間、捕手や外野手として日々奮闘していた矢野燿大監督ですが、入団前の本心では巨人に在籍したかったそうなんです。
「何で中日やねん…」喜びより落胆が勝った
運命の瞬間は刻一刻と近づいていた。1990年11月24日、ドラフト会議。テレビでの生中継を、東北福祉大野球部の監督室で矢野は固唾(かたず)をのんで成り行きを見守っていた。
「中日、矢野輝弘(やの・てるひろ)、捕手、22歳、東北福祉大学」
1位に続き2位指名がスタートすると、司会進行役でパ・リーグ広報部長の伊東一雄が、矢野の名を読み上げた。まさかの読み間違えにも驚いたが、それ以上に驚いたのは中日が指名してきたことだった。
「えっ?」。矢野は事前に巨人と阪神が指名する可能性は知らされていたが、そこに中日の名は含まれていなかった。ましてや、2歳上の中村が不動のレギュラーとして君臨している。ドラフトでの指名が現実となりつつある中、矢野も自分なりにシミュレーションを行っていた。当然のように、各球団の捕手事情を調べていく。もっとも分の悪そうなのが、ほかならぬ中日だったのだ。
引用元:スポニチ
巨人戦に先発した野口茂樹(現・会社員)さんとバッテリーを組んだ矢野燿大監督は、なんと『ノーヒット・ノーラン』の偉業を達成しました。
矢野燿大監督のリードで、しかも巨人戦というところが運命を感じちゃいますね!
女房役とはいえ、偉業を達成したその年の成績がプロ入りしてから一番良く、矢野燿大監督にとって『ノーヒット・ノーラン』が現役時代一つのターニングポイントとなったのではないでしょうか。
達成した瞬間は本当に嬉しかったと思いますね!
ということで、矢野燿大監督は中日ドラゴンズ時代に、苦労と栄光を経験していたことがわかりました。
捕手のリードあっての『ノーヒット・ノーラン』だと断言できますね!
最後に
家族を一番愛し、そして阪神タイガースの監督として日本一を目指している矢野燿大監督。
仕事とプライベートのオンとオフがハッキリとしている印象がありますね!
また、若手選手の育て方にも定評があり、その代表例として一人挙げるのであれば近本光司選手でしょう。
現役時代は『恐怖の下位打線の一人』として活躍していた矢野燿大監督も、現在(いま)はチームを指揮する立場。
監督として阪神タイガースのリーグ優勝、そして日本一に導けるよう頑張ってもらいたいですね!
今後も、矢野燿大監督の活躍と動向に注目し、情報が入り次第追記していきたいと思います。
最後まで読んで頂きありがとうございました。
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