十亀剣投手は1987年11月7日生まれの37歳(2024/12/20時点)で、愛知県豊田市出身。
愛知工業大学名電高校から日本大学、社会人野球のJR東日本を経て2011年にドラフト1位で埼玉西武ライオンズに入団し、背番号は『21』です。
この記事では、十亀剣投手が結婚した美人すぎる嫁と子供について。そして、福岡ソフトバンクホークスの松田宣浩選手を苦手としていること。さらに、補欠だった高校時代の件も書いていきますので最後までお付き合いください。
十亀剣の美人すぎる嫁と子供が気になる!
ネットで十亀剣投手が投げる瞬間の顔が〝変顔〟だと話題になっていましたが、これは本当に仕方ないというか、本気で投げている証明ですので、変顔と表現するのは如何なものかと思いますね。
力を入れる瞬間とか、大体みんな変顔になっちゃいますから。
ちなみに十亀剣投手は、女優の多部未華子さんと似ているとも話題になっていました。
個人的にはあまり似ていないというか、全くの別物といった感じなのですが、どう感じるかは皆さんの自由だと思います。
そんな十亀剣投手は、2016年10月に一般女性と結婚していることがわかりました。
十亀剣投手の嫁は、和歌山県出身らしく、女優の武井咲さんに似て超絶美人だとか!
さらに嫁は4歳年下だそうで、本当に羨ましい限りですね!
結婚した嫁との子供は、2019年9月に第一子となる女の子が誕生したそうです!
嫁と子供の顔写真は残念ながらありませんが、美人な嫁と可愛い子供の為にも、沢山勝ち星をあげてほしいと思います。
ということで、変顔で話題となった十亀剣投手の嫁は、女優並みの美人な嫁だと噂になっていたことがわかりました。
今後、十亀剣投手の嫁と子供の情報が入り次第、この記事で追記していきたいと思います。
松田宣浩を苦手としている十亀剣!
十亀剣投手は、2011年に埼玉西武ライオンズに入団してからずーっと松田宣浩選手に打たれ続けています。
2019年の8月までの松田宣浩選手との対戦成績が、計55打席で44打数26安打、9本塁打、20打点の11四球と数字だけで見るとボコスカ打たれて苦手にしているのがわかりますね。
このことについて十亀剣投手は「なんかもう、打たれることはしょうがないんですよ。僕も甘い球がありますし。ただ、結構いいところに投げても、いい打球を飛ばされるときもあるんですよ」と話しており、十亀剣投手にとって松田宣浩選手は、まさに〝天敵〟といった存在でしょう。
何でも当てはまると思いますが、一度〝苦手意識〟が植えつけられると、抜け出して乗り越えるまでかなりの時間と努力、そしてメンタルケアが必要だと思います。
逆に松田宣浩選手は、対戦投手が十亀剣投手の時、凄くイキイキして打席に入っているようにも感じますね。
これだけの好成績を残すと良いイメージを持って臨めるのでしょう。
しかし、十亀剣投手は柳田悠岐選手や上林誠知選手、中村晃選手など、松田宣浩選手を除くホークスの主力選手はそこそこ抑えており、ホークスと首位争いの大事な試合でも登板することが多いのです。
実力と実績を考えたら、十亀剣投手はチームに必要不可欠な投手ですからね!
松田宣浩選手とは相性というか、十亀剣投手の投じる全ての球種にタイミングが合う確率が高いのだと思いますね。
ということで、今後も〝十亀対松田〟の対決に注目し、少しでも苦手意識から脱却してもらいたいですね!
意外にも補欠だった!?十亀剣の高校時代が気になる!
小学4年生に『豊田虎』で野球を始め、中学時代は『豊田リトルシニア』で野手として試合に出ない日はなかった十亀剣投手。
十亀剣投手は、高校に上がるまで投手ではなく野手だったそうで、投手としてのキャリアは高校からという事実に驚きですね!
十亀剣投手の出身高校は『愛知工業大学名電高等学校(通称・愛工大名電)』で、イチローさん(現・マリナーズ会長付特別補佐)や福岡ソフトバンクホークスの指揮官・工藤公康監督の母校ですね。
高校野球ファンなら誰もが知っている、超有名強豪校の『愛工大名電』から、本格的に投手デビューをしたわけですので、十亀剣投手は身体能力と野球センスが高かったのだと思います。
しかし、そこは野球の名門校ですから、すぐにエースナンバーの背番号『1』を付けることは叶わず、補欠スタートだったと十亀剣投手は話します。
小・中学時代と、野手としてレギュラーから外されたことのない十亀剣投手にとっては、高校時代で人生初の補欠を味わい、屈辱と悔しさを経験したのではないでしょうか。
高校時代を振り返った十亀剣投手は「(高校の思い出は)とても苦しいことが多かった」と、楽しい思い出は少なかったといいます。
誰しもが通る道だとしても、できれば〝苦しい時期〟というのは短い方がいいですが、十亀剣投手の場合〝高校3年間が苦しい時期〟だったそうなので、普通なら逃げ出してもおかしくないでしょうね。
そんな、補欠を経験した高校時代の十亀剣投手に転機が訪れたのは、監督から〝サイドスローへの転向〟を打診されたことでした。
元々オーバースローでコントロールがあまり良くなかった当時の十亀剣投手は、葛藤はあったものの、補欠から抜け出すキッカケになればと、サイドスローに切り替える決断をしたことが、後の十亀剣投手の野球人生に繋がるわけですね。
十亀剣投手は、高校時代に〝補欠〟を経験できたからこそ、自問自答を毎日繰り返し、自分に足りなかったものを探し、考え、自分だけの武器を見つける努力ができたと話します。
高校生の年齢で、自問自答を毎日繰り返すことや自分を見つめ直すことなど、普通はできないでしょうし(僕にはできませんでした)、それを実行し続けたからこそ、現在(いま)の十亀剣投手が存在しているのでしょう!
高校時代の十亀剣投手は、甲子園での登板は果たしたものの、結果的にエースナンバーを背負うことはありませんでした。
しかし、自分と他者を冷静に比較し、そこから更に自分と向き合い続けることで、エースという〝ナンバー1〟を目指すのではなく、エースとは別の〝オンリー1〟を模索する道を選択できる考え方も身についた十亀剣投手。
(補欠という)貴重な経験によって技術よりも大切なことを学んだ十亀剣投手は、その後は大学時代、社会人野球を〝チームのエース〟として活躍し、現在(いま)に至ります。
十亀剣投手にとって高校時代は凄く苦しんだ思い出が強かったでしょうけど、野球人生において非常に大切な時期だったことは理解できましたね。
現在(いま)、補欠でレギュラーでない人も、諦めず考え真摯に野球に取り組めば、プロ野球選手になれんだってことを証明した方だと思います。
最後に
十亀剣投手はFA権を取得したものの、埼玉西武ライオンズに残留を決断し、絶対的エースを目指す所存。
圧倒的な打撃力があるライオンズですが、投手力の不安が強いのも事実ですので、十亀剣投手が投手陣を引っ張っていく存在になってほしいですね!
今後も、十亀剣投手の活躍に期待し、そして〝十亀対松田〟の対戦にもより一層注目していきたいと思います。
打倒・松田宣浩選手を掲げ、チームの日本一に貢献してもらいましょう!
最後まで読んで頂きありがとうございました。
関連記事