選手応援ブログ「Hawks Soul(ホークスソウル)

藤川球児が結婚した嫁と子供の存在!ストレートが凄い!復活を遂げた謎に迫る!

藤川球児投手は1980年7月21日生まれの40歳(2020/08/11時点)で、高知県高知市出身。

1998年にドラフト1位で阪神タイガースに入団し、背番号は『22』です。

 

タマ
この記事では、藤川球児投手が結婚した嫁と子供のこと。そして、ストレートが凄すぎる件や復活を遂げた謎にも迫っているので、最後まで読んでほしいニャン!

藤川球児が結婚した嫁と子供の存在!

阪神タイガースの絶対的守護神で、投手陣の精神的支柱でもある藤川球児投手は、2000年に結婚していたことがわかりました。

結婚した嫁は、元看護師で一般女性とのこと。

 

タマ
結婚した嫁とは、藤川球児投手の母校『高知市立高知商業高等学校』の同級生で、高校時代から交際していたみたいニャン!
プロ入り当初は、長期間苦しんだ時期を過ごした藤川球児投手ですが、嫁がしっかりサポートしたことにより、二人で乗り越えたのだそうです。
大変な時期を嫁と経験したからこそ、夫婦の絆はとても固いと思います。
タマ
メジャーリーグへ挑戦する時も、独立リーグで現役生活を続けるか迷った時も、嫁に本音で話せたことが凄く良かったみたいニャン!夫婦で支え合って苦難を乗り越えるって本当に素晴らしいニャー!
そんな素敵な嫁との子供ですが、藤川球児投手には3人の子供の存在がいるそうです。
男の子が1人と女の子2人だそうで、現在の年齢は確定ではありませんが、もうすぐ成人を迎える年頃になるのではないでしょうか。
子供の名前は女の子一人は不明でしたが、男の子が温大(はると)、女の子の一人は絢英(あゆな)という名前だそうです。
タマ
ちなみに、藤川球児投手の『球児』という名前の由来は、父親が草野球で〝ノーヒットノーラン〟を達成した翌日に藤川球児投手が産まれたので、野球に因んで命名したのが『球児』ニャー!
藤川球児投手の子供は野球に携わっているのか気になりますが、3人の子供の情報が入り次第追記していきたいと思います。
ということで、藤川球児投手が結婚した嫁は高校時代の同級生で、旦那をしっかり支える素晴らしい嫁だったことがわかりました。
仕事と家庭の両立は大変な時もあるでしょうけど、今後も夫婦円満で素敵な家庭を築いていってほしいですね!

藤川球児のストレートが現在(いま)も凄い理由に迫る!

藤川球児投手と言えば、やはり〝凄いストレートを投げる〟といった印象が強くありますし、元プロ野球選手でレジェンドの清原和博さんからは「僕が20年間見てきた中で、最高のストレートです」と絶賛されたこともあります。

〝火の玉ストレート〟と呼ばれるほど、藤川球児投手のストレートは注目されていますね。

 

 

タマ
藤川球児投手の〝火の玉ストレート〟は、回転が凄すぎて浮き上がるニャン!〝沈まないストレート〟ニャー!
通常のストレートは、初速(投手が球をリリースした速度)と終速(キャッチャーミットに収まる前の速度)に速度差が生まれ沈んでいくのですが、藤川球児投手のストレートは、初速と終速の差が他の投手よりもなく、リリースからミットまで地面とほぼ平行の軌道で沈まないストレートを投げています。
ストレートに綺麗なスピンがかかっていることにより、打者からは浮き上がっているように感じるのでしょうね。

 

藤川球児投手のストレートを、画面上で確認しても圧倒されるほどですから、実際に打席に立てば迫力で尻餅をついてしまう勢いでしょう。

 

タマ
内川聖一選手や五十嵐亮太投手などのレジェンド選手も、藤川球児投手のストレートを大絶賛していたニャー!
数々の名選手達が揃って「藤川球児のストレートはわかっていても打てない」というほどですから、とんでもないストレートですね。
藤川球児投手は〝ピンポン球のように浮き上がれ〟と念じながらストレートを投げているそうですよ!
ということで、藤川球児投手が投げる〝火の玉ストレート〟は、回転数が通常のストレートよりも多く、名選手達から三振を奪いまくっている〝至極の球〟だということが理解できました。
今後も、藤川球児投手のストレートに注目していきたいと思います。

藤川球児が復活した理由が気になる!

『松坂世代』の藤川球児投手も、現在(いま)ではベテラン投手の一人ですし、怪我や苦労を乗り越えて復活を遂げたレジェンド投手ですね。

日米通算で243セーブは、圧巻の実績と呼ぶにふさわしいでしょう!

 

タマ
名球会入り条件の〝250セーブ〟までもう少しにゃー!

 

現在(いま)でこそ、阪神タイガース中継ぎ投手陣の中心核としての信頼を勝ち取り、復活を遂げた藤川球児投手も、2013年から2016年頃までは中々に思うような活躍ができていませんでした。

2013年から2015年途中までメジャーリーグで奮闘し、その後は四国・高知県にある『高知ファイティングドッグス』で、3ヶ月間プレーしていた経歴がある藤川球児投手。

 

シカゴ・カブスとテキサスレンジャーズで奮闘していた藤川球児投手ですが、怪我との戦いで思うような活躍ができず、3年間でわずか29登板に終わってしまいます。

右肘の手術を受けるなど、メジャーリーグ時代はリハビリ生活が多かったと思いますね。

 

2015年のシーズン途中で自由契約となった藤川球児投手を、報道では〝阪神タイガース復帰が決定的〟と報じらていましたが、藤川球児投手が選択した移籍先は、四国アイランドリーグplus(四国4県を活動地域とするプロ野球独立リーグ)の『高知ファイティングドッグス』への入団でした。

阪神タイガースからのオファーを断ってからの、地元・高知県の独立リーグのチームへ入団したわけですから、地元ファンは大いに喜んだことでしょう!

 

タマ
藤川球児投手が『高知ファイティングドッグス』へ入団した理由は〝地元の子どもたちに夢を与えたい〟という理由だニャン!こんなカッコいい漢になりたいニャー!!
そして、この『高知ファイティングドッグス』への入団が、藤川球児投手の復活へのキッカケとなったのではないかと言われています。
当然ですが、地元・高知県は藤川球児投手の故郷で、一番落ち着いて過ごせる場所だと思います。
メジャーリーグという慣れない環境で戦ってきた身体と精神は、想像以上に疲弊しきっていたのかもしれないですね。
〝心と身体をリセットする時間が過ごせたこと〟が、当時の藤川球児投手にとって必要不可欠だったのかもしれませんし、『高知ファイティングドッグス』での藤川球児投手は実にリラックスしていたみたいです。
藤川球児投手の母校・高知商の試合結果を聞いたり、キャッチボール中に観客の皆さんと雑談したり子供と会話したりと、束の間ながら故郷で心と身体を休めたことは、復活するための〝大事な時間〟となったことでしょうね。
〝タラレバ〟の話をしても仕方ないのですが、メジャーからすぐに阪神タイガースへ復帰していたとしても、もしかしたら復活するまでもっと時間がかかっていたのかもしれません。
ということで、藤川球児投手が復活した理由はおそらく、地元・高知県での〝心の底からリラックスできる時間を過ごした〟からではないかと思います。
やはり、現在(いま)住んでいる場所も大好きですが、地元には特別な想いがありますね。

最後に

タイガースの守護神・藤川球児投手は、野球選手としての実力だけでなく〝一人の人間として凄く魅力があり、愛されるべき人柄〟だなと改めて感じました。

古巣・阪神タイガースへ復帰入団を果たした時の会見内容は、藤川球児投手の復帰を、沢山のファンが待ち望んでいたことが伝わりましたね。

 

涙の藤川球児 阪神復帰に「いつ倒れてもいい覚悟」

阪神への復帰が決まっていた藤川球児投手(35=四国IL・高知)が24日、大阪市内のホテルで入団会見に臨み、古巣への思いに涙を見せた。再入団を決断した一因として虎ファンの存在を挙げ、言葉を詰まらせた。12年以来、4年ぶりのタテジマに戻り、背番号18をつける。2年契約の総額4億円(推定)で正式に締結。金本知憲監督(47)とともに日本一を目指し、夢はでっかくパレードだ。

胸からこみあげてくる感情を抑えることはできなかった。古巣復帰を決断した理由を問われ「球場で声を掛けてくれるファンの方、そのほとんどが阪神ファンで、また日本中で…」と言いよどむと、もう言葉にならない。司会者が「ファンの後押しが…」とつないでも約1分間の絶句。「ちょっと待ってください…」。おしぼりで目頭を押さえて「人の心です」と短く話すのが、精いっぱいだった。

引用元:日刊スポーツ

 

そんな藤川球児投手は〝(阪神タイガースが)優勝したら引退〟というコメントしていたそうで、引き際は自分で決めるでしょうから、その時(引退)がくるまで、藤川球児投手の活躍を目に焼き付けたいですね!

 

 

今後も、藤川球児投手の〝火の玉ストレート〟に注目していき、情報が入り次第追記していきたいと思います。

 

最後まで読んで頂きありがとうございました。

関連記事

最新情報をチェックしよう!