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藤川球児投手は1980年7月21日生まれの42歳(2023/01/31時点)で、高知県高知市出身。
高知市立高知商業高校から1998年にドラフト1位で阪神タイガースに入団し、2020年のシーズンを最後に、現役引退を発表。
現在はYouTuber(藤川球児の真向勝負)として活躍しながら、野球評論家・解説者など幅広く活躍。
タマ
この記事では、藤川球児投手が結婚した嫁と子供のこと。そして、ストレートが凄すぎる件や復活を遂げた謎にも迫っているので、最後まで読んでほしいニャン!
藤川球児が結婚した嫁と子供の存在!

阪神タイガースの絶対的守護神で、投手陣の精神的支柱でもある藤川球児投手は、2000年に結婚していたことがわかりました。
結婚した嫁は、元看護師で一般女性とのこと。
タマ
結婚した嫁とは、藤川球児投手の母校『高知市立高知商業高等学校』の同級生で、高校時代から交際していたみたいニャン!
プロ入り当初は、長期間苦しんだ時期を過ごした藤川球児投手ですが、嫁がしっかりサポートしたことにより、二人で乗り越えたのだそうです。
大変な時期を嫁と経験したからこそ、夫婦の絆はとても固いと思います。
タマ
メジャーリーグへ挑戦する時も、独立リーグで現役生活を続けるか迷った時も、嫁に本音で話せたことが凄く良かったみたいニャン!夫婦で支え合って苦難を乗り越えるって本当に素晴らしいニャー!
そんな素敵な嫁との子供ですが、藤川球児投手には3人の子供の存在がいるそうです。
男の子が1人と女の子2人だそうで、現在の年齢は確定ではありませんが、もうすぐ成人を迎える年頃になるのではないでしょうか。
子供の名前は女の子一人は不明でしたが、男の子が温大(はると)、女の子の一人は絢英(あゆな)という名前だそうです。
タマ
ちなみに、藤川球児投手の『球児』という名前の由来は、父親が草野球で〝ノーヒットノーラン〟を達成した翌日に藤川球児投手が産まれたので、野球に因んで命名したのが『球児』ニャー!
藤川球児投手の子供は野球に携わっているのか気になりますが、3人の子供の情報が入り次第追記していきたいと思います。
ということで、藤川球児投手が結婚した嫁は高校時代の同級生で、旦那をしっかり支える素晴らしい嫁だったことがわかりました。
仕事と家庭の両立は大変な時もあるでしょうけど、今後も夫婦円満で素敵な家庭を築いていってほしいですね!
藤川球児のストレートが現在(いま)も凄い理由に迫る!

藤川球児投手と言えば、やはり〝凄いストレートを投げる〟といった印象が強くありますし、元プロ野球選手でレジェンドの清原和博さんからは「僕が20年間見てきた中で、最高のストレートです」と絶賛されたこともあります。
〝火の玉ストレート〟と呼ばれるほど、藤川球児投手のストレートは注目されていますね。
タマ
藤川球児投手の〝火の玉ストレート〟は、回転が凄すぎて浮き上がるニャン!〝沈まないストレート〟だニャー!
通常のストレートは、初速(投手が球をリリースした速度)と終速(キャッチャーミットに収まる前の速度)に速度差が生まれ沈んでいくのですが、藤川球児投手のストレートは、初速と終速の差が他の投手よりもなく、リリースからミットまで地面とほぼ平行の軌道で沈まないストレートを投げています。
ストレートに綺麗なスピンがかかっていることにより、打者からは浮き上がっているように感じるのでしょうね。
藤川球児投手のストレートを、画面上で確認しても圧倒されるほどですから、実際に打席に立てば迫力で尻餅をついてしまう勢いでしょう。
タマ
内川聖一選手や
五十嵐亮太投手などのレジェンド選手も、藤川球児投手のストレートを大絶賛していたニャー!
数々の名選手達が揃って「藤川球児のストレートはわかっていても打てない」というほどですから、とんでもないストレートですね。
藤川球児投手は〝ピンポン球のように浮き上がれ〟と念じながらストレートを投げているそうですよ!
ということで、藤川球児投手が投げる〝火の玉ストレート〟は、回転数が通常のストレートよりも多く、名選手達から三振を奪いまくっている〝至極の球〟だということが理解できました。
今後も、藤川球児投手のストレートに注目していきたいと思います。
藤川球児が復活した理由が気になる!

『松坂世代』の藤川球児投手も、現在(いま)ではベテラン投手の一人ですし、怪我や苦労を乗り越えて復活を遂げたレジェンド投手ですね。
日米通算で243セーブは、圧巻の実績と呼ぶにふさわしいでしょう!
タマ
名球会入り条件の〝250セーブ〟までもう少しにゃー!
現在(いま)でこそ、阪神タイガース中継ぎ投手陣の中心核としての信頼を勝ち取り、復活を遂げた藤川球児投手も、2013年から2016年頃までは中々に思うような活躍ができていませんでした。
2013年から2015年途中までメジャーリーグで奮闘し、その後は四国・高知県にある『高知ファイティングドッグス』で、3ヶ月間プレーしていた経歴がある藤川球児投手。
シカゴ・カブスとテキサスレンジャーズで奮闘していた藤川球児投手ですが、怪我との戦いで思うような活躍ができず、3年間でわずか29登板に終わってしまいます。
右肘の手術を受けるなど、メジャーリーグ時代はリハビリ生活が多かったと思いますね。
2015年のシーズン途中で自由契約となった藤川球児投手を、報道では〝阪神タイガース復帰が決定的〟と報じらていましたが、藤川球児投手が選択した移籍先は、四国アイランドリーグplus(四国4県を活動地域とするプロ野球独立リーグ)の『高知ファイティングドッグス』への入団でした。